0.000004%の挑戦
千葉県船橋市にある日本大学二和校地の2009年8月8日は晴天だった。
宇宙ステーションの代わりに、バルーンが上空150mの高さまで上げられ、車のシートベルトがテザーとしてぶら下げられた。 グラウンドの端では、参加8チームが簡易テントの下で着々と準備を進めていた。参戦したのは、日本大学理工学部から2チーム、神奈川大学工学部から2チーム、名古屋大学工学部、静岡大学工学部、ミュンヘン工科大学(ドイツ)、個人参加の「チーム奥澤」の8チームだ。
いずれも手弁当で、自ら旋盤を削りつくり出したクライマーたちは、スーパーマーケットの買い物かごに入りそうな大きさである。競技のルールは、制限時間内での、上昇速度とほかの評価項目で競う。が、単なる記録競争ではない。各テントでは、自チームのクライマーの特徴をパネルで展示していた。このアイデアは、青木教授の提案による。互いのアイデアで、刺激し合い、さらなる技術開発を進めるという、この競技会の大きな目的はここにある。
風にテザーがなびく。ねじれるテザーにはばまれて、クライマーが止まる。初日の午後は、強風で、テスト昇降に切り替えざるを得なかった。各チーム寝ずの最終調整でのぞんだ2日目も晴天。
青木は、ストップウォッチを片手に、記念すべき第一回の競技を見守った。 机上の理論や、コンピュータ内の計算では起こらない、現実が次々と起こる。北米以外で初めての大会とはいえ、賑やかな観客席などない。自分たちが製作したクライマーを、真剣に見上げ、歓声を上げる研究者たちは、何も知らない通行人から見れば、新種のラジコンで遊んでいるように見えたかもしれない。
優勝は、2005年から開発を進め、150メートルまで上げられる実験をできると滞日4日間という強行スケジュールで来日したドイツ、ミュンヘン工科大学チームだった。このチームは、2007年米国で記録された秒速2メートルの速度を打ち破り、150メートルを52秒で上った。
3万6000キロからすれば、150メートルはわずか0.000004%に過ぎない。「初日にあんなに高く見えた150メートルが、もうわけなく見えてくる。来年300メートルにしても、難なくクリアできるかもしれない。いつの日か、何だ3万6000キロなんて大したことないじゃないかと」
「アホなこと」がやがて天空に届く
機械系エンジニアの使命は、どんなに小さく粗末なものでも、理論を形にして作り上げ、見せることだと青木は言う。 「アホなこと」と自嘲気味に微笑みつつも、小さくとも一歩ずつ進む。ゼロからは何も生まれないが、150メートルの実績の種は、やがて芽を出し、天空に届く大樹となるだろう。
「もし明日、世界がなくなるとしても、何か作り続けているって素晴らしいじゃないですか。それが世界の崩壊を防ぐかもしれない」
これまでも、これからも、未来はこうして作られる。
(文中敬称略)
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クエスト~探求者たち~
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宇宙エレベーターで宇宙へ! 青木義男教授の挑戦
9月6日(日)午前10:00
再放送 9月19日(土)午前9:00
この記事を読んで私は出身校ということもあって、大変誇らしく嬉しくなりました。私が学生の時、精密機械工学科の航空研究室で人力飛行機の開発を行っていて、8の字飛行の世界記録を目標に頑張っていたのが思い返されます。私は青木教授の 「この卒業研究には、正しい答えはない。答のない問題の答を探そう」の言葉が大好きです。私達の仕事もこれで良いと云う答えはありません。ある時期うまくいったとしても環境が変わったりすると、ダメになる。過去に成功したから未来も成功体験のままで良い等と言うことはありません。これで良いなどと云う答えはないのです。人生もこれで良いなどという答えはありません。答えのない人生の答えを探して進んで生きましょう。