私は昭和46年4月に4年生に進学し、テニス部の顧問をお願いしていた伊藤先生の 通称「伊藤研」で卒業論文の指導をいただきました。伊藤先生は自動制御の研究が専門でモーターの位置制御と車のエンジンのトルク制御そして炉内の温度制御の3分野に分けて研究を行っていました。私は「直流モーターの位置制御」のチームに入り3人で活動しました。私は直流モーターの性能を解析し、制御のための基礎理論を構築する分野を担当しました。なぜかというと他の2人は、理論はもちろんのこと制御回路を製作する機器類に詳しく、「ものつくり」大好き人間で、彼らにはとてもかなわないと思っていました。
私は負けることが嫌いなので、チームの中でリーダーシップをとるために、伊藤先生と卒業論文の進め方を話し合い、3人の分担を決めるときに、すぐ手を上げて基礎理論の構築を担当させてほしいとお願いしました。希望通りの担当を受け持つことになりました。私は先生から指示を受ける前に自分でやりたい分野を決めておいて、最後に分担を決めるときには最初に希望分野を明確にして要望しました。先生から認められなければ別ですが、私はチームを組んで活動するときに、いつも先頭切って旗振り役を担っていました。当時、私は春休みや夏休みに現場で研削作業を中学生の頃からアルバイトで体験していましたので、物を作るのは上手かったのですが、自分で回路を設計し、制御機器類を選定して製作するのは苦手というより制御機器の名称も形も機能も知りませんでした。大学で教わった理論を本の上で理解し、勉強してきましたが、知識としてしか知りませんでした。チームのメンバーは卒業論文の研究を好んでやるのを通り越して、楽しくて仕方がないというようでした。私が楽しくて仕方がないというのはテニスでした。
私はテニス部(日本大学理工学部習志野硬式庭球部)で2年生から3年生まで2年続けて部長の職を任されていました。その時のテニス部の顧問が伊藤先生で助手の清岡さんは高校の先輩でもありました。清岡さんもテニスが好きで時々部活動の練習にも参加していました。先生は豪快な方で、私は良く卒論の合間にテニスのヒティングパートナーを務めたことから可愛がっていただき、先生からコントラクトブリッジとお酒の飲み方を、清岡さんから囲碁を教えていただきました。大変充実した大学生活を送ることが出来たのもお二人の先生のお蔭と感謝しています。