昨年の中国研修のブログが抜けていた。時期は過ぎてしまったが、載せることにした。主要顧客であるK社様の協力会の海外研修会(2010年9/12~9/16)が中国で行われ、現在世界で一番元気のある中国の建機メーカー・油機メーカーを見学した。中国は難しい国と言われているが、我々の会社にとっては避けて通れない市場である。我社の進むべき方向性を考える重要な機会を提供していただいたお客様に感謝したい。
私は上海での仕事を済ませるために、視察団より1日早い9月11日に上海に入った。翌日の12日集合場所であるレストラン「阿一海鮮」に出向きました。「阿一海鮮」は上海人の誰もが知っている老舗のレストランで、上海でもおしゃれな店が立ち並んでいる准海路にあり、私は現地法人「上海協立」の総経理に送ってもらった。渋滞を考えて一時間前に「阿一海鮮」を訪れましたが、視察団は予定より2時間近く到着が遅れたため、結果的に3時間店で待つことになってしまった。私が中国上海を最初に訪問したのは1989年です。21年も訪問していると交通事情などで時間に遅れたことが何度もありましたので、中国出張の時は待ち時間をつぶすためにいつも2~3冊の本をカバンに入れておきます。このときもロビーで本を読んでいると店員が気を遣ってお茶を持ってきてくれました。昔の上海ではこのようなサービスは考えられないことだった。
さて翌13日私が最も楽しみにしていたのは国内最大手重機メーカーの工場見学会です。私がこの重機メーカーを知ったのは5年ほど前からでローカルの油圧ショベルメーカーで販売シェアーに名前が載ってきた頃で、直近の油圧ショベルのシェアーは10%に迫る勢いとのこと。総経理のお話は油圧ショベルの生産を毎年倍々に増やしていき、長期展望では世界NO1の油圧ショベルメーカーを目指し、その為人・物・金を積極的に投資し、海外展開も積極的に行うと自信を持ってプレゼンしていた。K社殿の油圧機器を高く評価される一方で自社の発展のスピードに付いてこられないメーカーはバッサリと切り捨てる。あの自身に満ちた発言の根拠の裏づけがどこから来ているのか一度じっくり聞いてみたいとおもった。
我々の会社は高度成長時代から第一次オイルショック、第二次オイルショックを経験し、低成長時代に突入した。その後1985年前のプラザ合意により円高が容認され、輸出を継続するため徹底した原価低減の時代に入って行った。円高を乗り越え、つかの間のバブル経済に入ったが、1990年バブルの崩壊、1998年の不良債権に端を発した金融危機、ITバブルの崩壊、そして2008年のリーマンショックと幾多の障害を乗り越えて、今日の企業があることを思うとき、あの自信がうらやましくもあり、危うさも感じられた。中国と20年前から関わってきた私としては、しばらく中国の経済は成長が続くと思うが、注意深く、慎重にそして時には大胆に関わって行きたいと思う。
『三一重機昆山』