マラソンへの道ファイナル⑤

翌日滋賀県方面のお客様と午前中の約束をしていたので、東京駅近くのホテルに泊まるために、出張の用意をして東京駅にいった。電車の乗り降りは階段を使わないルートでいった。いつもなら八重洲口からホテルまで5分位で行くところ、右足を引き摺りながら、20分かかったのを覚えている。翌月曜日、5時に起床し朝一番の新幹線に乗った。10時に訪問先に入り、打合せを済ませてから、帰宅したのは夜9時頃。しかし翌日の火曜日に、目が覚めた時にはすっかり痛みは治まっていた。この体験で、シューズの重要性を認識し、初心者用のシューズを購入した。ランニングマシンの練習はマシン自体がクッションになり、膝周りの筋肉が付きにくいため、膝がロードに耐えられないと分かったので、その後はロードでの練習を主体にした。

 

忘年会の勢いで約束したが、本当にフルマラソンに挑戦しようと思ったのは、若い時にテレビで見たホノルルマラソンだ。人生の節目である還暦の年に、夫婦で国内旅行でも、海外旅行でもなくもっと記憶に残ること、海外でフルマラソンの完走が人生の記憶に残る事だと思った。幸いにもホノルルマラソンは制限時間がなく、楽しみながら走れる。国内のマラソン大会は制限時間が6~7時間なので、時間内にゴールするは無理だった。何よりも最初のマラソンは完走したかった。

 

59歳の5月、連休の間、毎日10キロを走った。調子がよかったので、ある日初めての20㎞走を行った。自宅から旧道を通り、筑西市の県西運動公園を通り過ぎ、下館駅まで10㎞、往復20㎞のコースである。5㎞位を過ぎると体がなじんできて、足も軽く快調に走ることが出来た。しかし15~16㎞地点で右膝に違和感を覚え、 痛みが出てきたので、残りは徒歩で行った。この痛みが取れないので、整形外科に行き診察したが、先生の診断は加齢による膝の軟骨の磨耗が原因とのこと、走るのは諦めなさいといわれた。先生に還暦の記念にどうしても12月のホノルルマラソンに行きたいことを話した。そして無理して走り続けた場合、右膝が最悪どのようになるのか先生にしつこく聞いた。6ヶ月の治療でも最悪は走ることが出来なくなりますと云われた。私はフルマラソンに1回だけ走ることが出来れば、後はマラソンが出来なくてもかまわない、歩くことは大丈夫ですかと質問したら、大丈夫との回答があった。ではゴルフをプレーすることは出来ますかと質問したら、たぶん大丈夫といわれたので、「老後にゴルフが出来なくなるのは困るが、出きるならOKです。治療をお願いします。」といった。

 

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