茨城におけるものづくり企業経営史(7)

.中国での事業展開

 

高橋:続いて中国の工場ですが,現在の従業員数は28名です。多い時には65名を超えていることもありました。しかし,20081月に,中国で労働契約法という法律が改正されたのです。それまでは工場で働く正社員以外の人たちは,3ヶ月ごとに契約を更新してきました。3ヶ月ごとの更新ですから,仕事ができない人は更新しません。それでずっとやってきました。ところが20081月の改正の結果,理屈から言うと会社が倒産するまで解雇できないことになりました。もし会社都合で辞めさせるとなると,多くの金額を支払わなければなりません。労働契約法の改正後,1年間の猶予があったので,この期間に働かない人,出来の悪い人は契約の更新をしないで少数精鋭にしました。我社は,中国ではむやみに従業員を増やして企業規模を拡大しようとは考えていません。

 

高橋:なお我社の中国上海工場ですが,最初は日本本社向け部品のみを作っていました。しかし9798年の金融危機の際に,こちら(茨城本社)から注文を出せなくなった時がありました。それを契機として,日本の協立向けは2030%あればいいという方針に変更し,取引の自由度を高めました。その結果,日系の油圧メーカーに関しては,ナブテスコの子会社である上海ナブテスコとブレーキバルブ用ピストン,スプール,プラグなどの取引を始め,それが売上の約40%を占めています。またフランスのTOKHEIMという会社とは,ガソリンスタンドで軽油とかガソリンを給油する際に使用する給油ポンプ用のコアパーツ(カムリング,ローター,シャフト)の取引があり,その売上げが約40%です。それ以外では風力発電用の部品を中国で作り,ヨーロッパ(デンマーク)へ輸出しています。以上が,我社の概要です。

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