東海道五十三次日記
1日目(4/25)日曜日 日本橋出発
朝早く目が覚めてしまい、5時出発の予定を30分繰り上げて4時30分にホテルをでた。まだうす暗い中を日本橋に向かい、日本橋の名が掘られた橋の石塔前で自撮。初日は品川宿から川崎宿、神奈川宿、保土ヶ谷宿そして戸塚宿まで42kmである。日本橋から京橋、銀座、新橋と国道15号線(中央通り)を進んだ。寝不足のせいか足が重い。リュックが肩に圧し掛かってくる。銀座8丁目まで、街は暗く非常事態宣言の中、すれ違う人はいなかった。新橋駅を過ぎると第一京浜に入り、オフィスビルの中、大門交差点を通ると右手に朱漆塗りの三解脱門(サンゲタツモン)が見える。この辺りは仕事で何度も来たところである。金杉橋を過ぎ、田町を通り、品川駅に向かった。この辺りも何度も車で行き来していたので、昔の事を思い出しながら、明るくなった道を歩いた。八ツ山橋から旧東海道に行けば、最初の品川宿は旅人や出迎えの人で賑わった宿場だ。江戸時代末期の品川宿は、北は八ツ山口から目黒川までの徒歩新宿と北品川宿、南は目黒川から青物横丁と鮫洲の境までの南品川宿からなっている。全長は約2.4kmに及んでいる。
幕末の旧所名跡が多く、高杉晋作や久坂玄瑞らが密儀をこらした大妓楼相模屋の跡があるが、遠回りにもなるので、第一京浜を歩く。東京十社のひとつで大黒天を祭る品川神社に6時半前に着いた。品川神社は文治3年(1187年)、源頼朝が安房国の洲崎神社から、海上交通の安全と、祈願成就の守護神として、神様を分霊し、品川大明神と称したのに始まると云う。神社前で写真を取り、京急蒲田駅に向かった。1週間前に大田区に住んでいる娘から、一緒に歩こうと連絡が来たので、京急蒲田駅で待ち合わせることにした。日本橋から京急蒲田駅まで15km、3時間半かかり、8時頃に到着した。駅のカフェで一休み。40分くらい休んだのち出発。娘はリュックを持ってくれるというので、重いから無理だと言ったが、普段からジョギングをしているので、問題ないと言ってくれた。小さい体で重いリュックを背負い元気に歩く姿を見ると、自分が71歳だと再認識したと同時に、肩に食い込んだリュックがないと体が軽くなった。助かった。やはり7㎏のリュックがないと足が軽い。京急蒲田駅から戸塚駅近くのホテルまで27kmある。
一緒に歩き始め少したってから再度確認したら、毎日ジョギングしているので、重リュックも問題ないという。頼もしい。多摩川の六郷橋を渡ると川崎である。渡り終わってから、どこまで付き合ってくれるか聞いたところ戸塚宿まで行くと言うので、二人で行くことにした。