東海道五十三次旅日記
10日目5/4火曜日 知立宿出発 朝、5時に起床して、ストレッチしてから今日の予定と天気予報を確認した。桑名宿まで43㎞ 9時間30分の道のりだ。最初は間の宿有松、鳴海宿、宮宿、桑名宿と行く。桑名宿からは伊勢・近江路に入り、京都はもう間もなくだ。ホテルで朝食を取り7時に出発した。9時過ぎに間の宿(あいのしゅく)有松に入った。間の宿とは、幕府の駅制下では基本的に宿場以外での宿泊は禁止されていたので、宿場間の距離が長い場合や、峠越えなどの難路の場合、宿場間に休憩用の「宿」がおかれ「間の宿」と呼ばれていた。名鉄名古屋本線の有松駅の南側と国道1号線に挟まれて並行する旧東海道を行くと、江戸時代さながらの趣のある町並みが整備されて残っていた。江戸時代絞り染めの手拭いや浴衣などを、道中の土産に求めていたと云う。
江戸時代に思いを巡らせながら、歩く
速度を緩めて目に焼きつけた。有松山車会館が右手に見えた。ここには有松にある3台の山車のうち、1台を定期的に展示してあり、豪華な飾り付けがしてある。11時ごろ鳴海宿に入った。ここ鳴海宿は古社寺のひとつである誓願寺は芭蕉ゆかりの寺で、芭蕉手植えの杉の古木から彫ったという芭蕉像が安置しているという。芭蕉有松の街道沿いに残る町屋の供養塔もあるというが、観光はなるべく控えて、次の宿場宮宿に向けて先を急いだ。東海道五十三次では宮宿の七里の渡しから船に乗って桑名の渡しまで、海上七里(約28km)4時間の船旅だったが、荒天時や潮の流れによっては10里(約40㎞)にもなったという。七里の渡しで船に乗ると堀川を下り名古屋港に出て、木曽川河口を横切り、更に長良川と揖斐川の合流した河口から桑名の渡しに行くルートになると云う。今では海上航路はなく橋が出来ているので、陸路を行く。道路標識に熱田神宮まで2kmの看板があった。この標識の十字路を左に曲がり、桑名宿に向かうことになる。いよいよ木曽三川を渡ることになる。木曽三川とは、濃尾平野を流れる木曽川、長良川、揖斐川の3つの川の総称で、最初に木曽川の尾張大橋を渡った。大井川よりはるかに多い水量に圧倒された。尾張大橋を渡ると、中洲はけっこうな距離があり、次の長良川・揖斐川の橋を渡りきるまでに、1時間位かかったが、もうすぐ桑名だ。桑名宿は七里の渡しで栄えた宿で、京都へ向けての新たな出発地と云われている。