東海道五十三次旅日記
13日目5月7日金曜日 石部宿出発
朝、3時に起床。天気予報を再確認したが、京都の天気は午後から降水確率が高く降水量も多いので、リュックにある雨具類や下着類をホテルのゴミ箱に処分し、身を軽くして早歩きで 行こうと、5時出発を1時間早め4時に出発し、ゴールの京都三条大橋には昼前に到着する計画に変更した。道順も草津宿、瀬田の唐橋、大津宿、三条大橋の予定を、南草津駅を過ぎたあたりから、近江大橋に向かい近道のルートを取った。瀬田の唐橋は東海道五十三次でも有名な橋なので、行きたかったが、昼前に到着しないと雨に降られる可能性が高いので、あきらめた。距離は35km、12時前には間違いなく到着する。
草津宿は東海道と中山道の分岐点で、草津の中心的な本陣には元禄年間から明治までの宿帳に、浅野内匠頭や吉良上野介、徳川慶喜、皇女和宮、土方歳三、シーボルトなどの名も見えると云う。8時半ころ近江大橋の入り口に来た。思ったより大きな橋だ。近江大橋は滋賀県丸の内町と草津市新居浜を結ぶ琵琶湖上の道路橋で、1985年(昭和60年)3月に竣工した。橋を渡り終えた国道にマックがあったので、ハンバーガーを
頼み30分程休憩した。琵琶湖線の膳処駅手前で南口出ると、ここから瀬田の唐橋からの本来の街道に合流した。京阪電鉄の大谷駅を9時20分に通り過ぎ、山科駅入り口には10時20分に着いた。山科駅から京都薬科大学に向い写真に収めた。前日に薬剤師の友人から京都薬科大学を通るかと聞かれたので、すぐ近くを通りますと答えたからだ。京都の道は坂が多い。あと2時間ほどでゴールの三条大橋に到着すると思うと、自然と足が前に進む。三条大橋の手前で坂本龍馬・お龍「結婚式跡」の石碑がひっそりと建っていた。司馬遼太郎の「竜馬が行く」を何度も読み返していた若いころを思い出さずにはいられなかった。
龍馬は10日間で京都から江戸まで行っ
たと云われているが、私は12.5日かけて、11時45分京都に着いた。三条大橋手前に「高山彦九郎 皇居望拝之像」銅像があった。私はこの人物は知らなかった。碑文によると「江戸時代、ここ三条大橋は東海道五十三次の起終点にあたり、往時の都の出入り口あった。今ここにある銅像は高山彦九郎正之(1747年~1793年)の姿を映したものである。高山彦九郎は群馬県の出身である。