中山道六十九次旅日記(4) 

1日目(4月9日)土曜日

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4時に起床。中山道六十九次の旅の始まりだ。昨年の東海道五十三次の旅と違い難所であるいくつもの峠を越えなくてはならない。自然と気合が入る。昨年と違うのは3人の友人が途中の行程で合流することだ。前日にコンビニで購入したおにぎりや飲み物などで簡単に朝食を済ませ、待ち合わせ場所である日本橋由来碑に向った。ホテルから徒歩5分だ。すでに田部井さんが待っていた。田部井さんは毎日一万歩近く歩いているとのこと、浦和宿辺りまで行くことになった。出発だ。神田駅を左手に見て、秋葉原駅を右手に見ながら、神田明神を通り過ぎ、東京大学赤門に到着した。この赤門は加賀前田家加茂屋敷の御守殿門で、朱塗りなので赤門と呼ばれていた。私は23才まで東京の品川区と大田区に住んでいたが、赤門に来るのは初めてだ。記念写真を撮り、足を進めると間もなく諏訪山吉祥寺の石碑があった。

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この吉祥寺は太田道灌が江戸城築城の際、現在の和田倉門のあたりに「吉祥庵」を立てたのが始まりと云われている。更に進むと「本郷追分」に出た。直進すると岩槻街道(日光御成道)へ、左が中山道だ。次のチェックポイント「高岩寺とげぬき地蔵」に向った。巣鴨駅を通り過ぎたあたりから国道17号線と旧中山道が分かれて行く。ナビを見ながら「高岩寺とげぬき地蔵」に向ったが、狭い道に誘導されていくので、おかしいと思いながら歩いているともと来た道に戻ってしまった。二人で歩いていると昔話に夢中になり、道に迷ってしまった。田部井さんのアドバイスにより、国道17号線に出ていくことにした。蕨宿までほとんど国道17号線と一緒だからだ。荒川の戸田橋を渡り、蕨宿に入った。浦和宿に入ったところで、田部井さんは浦諏訪山吉祥寺石碑和駅に向かい、ここで別れた。毎日健康のため散歩をしているとのこと、ここまで約25km、健脚だ。私はそのまま国道17号線を進み、北浦和駅で旧中山道(鴻巣桶川さいたま線・164号線)に入り、大宮宿に向った。さいたま新都心駅を過ぎると氷川神社参道入り口の石灯籠に出会った。     

243-3-3.jpgこの一の鳥居から三の鳥居まで、約kmの並木道が続き明治期には鬱蒼とした杉並木だったが、現在はケヤキを中心とした並木を形成している。大宮宿は氷川神社の門前町から始まったといわれ、鳥居まで、約kmの並木道が続き明治期には鬱蒼とした杉並木だったが、現在はケヤキを中心とした並木を形成している。大宮宿は氷川神社の門前町から始まったといわれ、平安時代の古社で武蔵国一宮として伝統と格式を誇っていた。一の鳥居から約2kmの参道は、江戸幕府が参道の両側の民家を移転させ宿場町として整備したとされる。参道の両側の民家を移転させ宿場町として整備した
される。
大宮駅を左手に見ながら通り、昔を思い出した。45年前弊社顧客の工場が南浦和にあり、担当者の方々と打ち合わせ終了後、この大宮駅近くの繁華街にあるやきとり屋でビールを飲みながら、また口角泡を飛ばしながら、お互いに議論をした 記憶が鮮明に蘇ってきた。その当時の方々には、まだ仕事の進め方を十分に理解していなかった私に、熱心にアドバイスをしていただいた。今でも大変感謝している。JRの宇都宮線の高架下を通り抜け、東北新幹線の高架下を通過し、チェックポイントの南方神社を右手に見て、上尾宿の石碑の在る所に着いた。

上尾宿は、上尾駅近くに「お鍬さま」と呼ばれる宿の鎮守、氷川鍬神社がある。門前の「中山道・上尾宿と本陣」の説明板によると、江戸時代末期の家数は182軒、旅籠41軒、神社の正面に本陣があり、近くに脇本陣3件があったという。比較的小さな宿場だ。ここから桶川宿まで約3kmだ。桶川宿は紅花や麦の集積地で繫栄した宿場で、日本橋から10(40)余り、江戸から6番目の宿として開かれた。
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旧道沿いには古い家がかなり残っていた。本来、この桶川宿で宿泊するのが、丁度よいのだが、標高1200mの碓氷峠は、昨年、東海道を旅した時の箱根850比較しても350m高い。調べれば調べるほど峠越えに自信が持てなくなってきた。朝6時頃出発して碓氷峠の頂上熊野神社に正午に到着、途中疲れても3時までには到着しないと、宿泊地の「あさぎり山荘」に着くころには暗くなってしまうので、出来るだけ碓氷峠の近くに行きたいと計画した。そのため、桶川駅一つ先の北本駅に宿泊するため、やむなく初日に50km近く歩くことにした。初めての50km歩行は不安が大きかったが、挑戦することにした。北本は桶川宿と鴻巣宿の中間の鴻巣宿よりにある。北本の街並みが作られたのは、江戸時代の初期に元宿村が中山道の宿駅として整えられたのが始まりで、その後現在の鴻巣の地に移され、宿場の有った所は、本宿(元宿)と呼ばれ、これが北本の地名になったとのこと。

243-4-4.jpgのサムネール画像

北本駅近くのビジネスホテルに到着したのは1640分、計画より10分遅れだ。計画では47kmだが、歩数計では51km72,610歩を要した。午後、気温が高くなったので、ペットボトルの水とスポーツ飲料を5本飲んだ。いつもは3本だが、気温が高くなると水分を取る量が多くなり、疲れた。部屋に入り足を冷やしてから、Tシャツ・下着等の洗濯をしてから、フロントで近くのレストランマップをもらい、5分位の所にある食堂に行った。一度歩くのを止めると短い距離でも歩くと足裏が痛い。生ビールと刺身定食を注文したが、コロナ感染防止のため、両方とも扱っていないと言われたので、瓶ビールとカツ丼を頼んだ。メニューの種類が少ないので、選択肢はなかった。客は私一人、老夫婦二人で営んでいる食堂だった。スマホで一日のニュースをチェックしながら、時間をかけて食事した。お客が一人入ってきたところで、勘定を済ませ、部屋に戻った。明日のためにストレッチを十分に行い、足裏のマッサージも丹念に行った。今日は、午後から25℃近い気温だ。このような高い気温では脱水症状を起こしかねない。明日の天気も気温が高そうだ。明日のチェックポイントは簑田氷川神社、熊谷宿の八木橋百貨店、深谷宿の深谷市役所を通り、小山川に架かる滝岡橋を渡って、本庄宿のビジネスホテルの「ホテル本庄」までの約47㎞の行程だ。9時に就寝。一日目が終わった。

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