山陽道・西国街道旅日記 十日目(P52~53/P89)

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になり、欧米列強からの侵略を防ぐために、富国強兵の政策を明治政府と一体となって進めていたことがうかがえる。明治天皇巡幸記念碑から約20分で、備前長船刀剣博物館に到着した。しかし何か雰囲気がおかしい。近づいてみると休館日の看板が目に入った。正面に行くと「展示替えのため 臨時休業 4/244/28」と無情にも門が閉まっていた。今日は24日だ。残念。

備前長船刀剣博物館は、鎌倉時代より日本刀の産地として栄えた長船町にある全国でも珍しい備前刀を中心に刀剣を展示している。
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敷地内には鍛刀場があり、日本刀の古式鍛錬、刀装制作、刀身への彫刻、砥ぎなどの、さまざまな日本刀に関する制作工程を実際に見学することが出来る。月に一度、1,200度の高熱で玉鋼(たまはがね)を打ち延ばす「古式鍛錬」の見学も可能だという。私の友人にも日本刀の玉鋼に魅了され、日本刀造りの勉強をしている人がいる。もテレビのドキュメンタリー番組で、日本刀造り、その基礎をなす玉鋼の作り方をいつも興味深くみている。残念だが仕方がない。
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宿泊地の常磐旅館まで1時間半だ。気を取り直して進んで行くと、備前長船日本刀傳習所があった。ここは日本刀を制作している仕事場を無料で見学できるとのこと。見学時間は13時から15時まで、16時を過ぎていたので、見学はかなわなかった。

まもなく250号線にでた。旧山陽道は真直ぐに行くのだが、少し遠回りになり、暗くなって到着するのは嫌なので、このまま250号線の歩道を歩くことにした。  まもなく目印の香登(かがと)駅が右側に見えてきた。香登駅から約1時間だ。250号線の左側に大ヶ池(おおがいけ)が見える。横長の池に沿って真ん中を新幹線が横切り、南岸は赤穂線と国道2号線(250号線)という立地になっている。
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不老川を渡り進んで行くと伊部駅が右手に見える。駅前広場には「備前市立備前焼ミュージアム」がある。私は旧道を歩くことだけ考えていたので、備前焼の里とは知らなかった。細い道を左に入り、進んで行くと常磐旅館が見えてきた。到着したのは1720分、距離約40km、一日で歩いた歩数57,448歩だった。老舗の旅館で外観も風格がある。

早速、チェックインして若女将が案内してくれた。お客は少ないようだ。いつも通り洗濯して、風呂に入り、くつろぐまもなく18時に食事だ。食事は大広間で客は、私と外国人だけだ。食事が来るまでの間、片言の英語で挨拶し、自己紹介をした。言葉が出てこない。彼はアメリカ人でバーモント大学の教授で名前はジョナサンで、71歳とのこと。バーモントから備前焼の研究、制作をしているとのこと。自分で工房を持っている専門家みたいだ。備前には3度目で、同志社大に籍を置き、11月には友人11人を連れて、この備前に来る予定とのこと。私は「なぜ備前焼きの研究をしているのか」と尋ねたら、備前焼は釉薬(ゆうやく)を使わないで、焼くので、焼きあがったときの模様は予想できない。大変難しいと云っていた。料理と共に若女将が入ってきて、英語の翻訳機をもってきて、一緒に会話を楽しんだ。私は自己紹介で、油圧機器のポンプやバルブを作る会社を経営していたが、リタイヤして旧街道を歩いていると話し、今回は下関から歩いて、この備前まで来たと地図を見せて説明したら、驚いた表情を浮かべていた。

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彼は若女将にもいろいろ質問した。若女将は、自分は6代目で、小さいころから祖母に「あなたが次の若女将ですよ」といわれていた。京都の大学を出てから、就職したが、母親の体調不良から6代目の若女将を継ぐことになった」と笑顔で話していたのが印象的だった。旅の一夜で見知らぬ外国人と若女将の3人で、世間話をしながらの食事は格別に美味しかった。

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