山陽道・西国街道旅日記 十一日目(P56~57/P89)

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歩き旅には分かりやすい。播磨備前国境碑の辺りから、船坂峠のやかな坂道を登って行き、斜め左に行くと、西国街道に入る。しばらくすると岡山県に入ってから三度目の明治天皇の足跡である「明治天皇駐軍之碑」の石碑があり、明治十八年八月八日、陸軍大将男爵田中義一書と石碑に彫られてあった。そのすぐ先に梨ケ原一里塚があり、梨ケ原宿遺跡の案内板が目に入った。

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「梨ケ原宿遺跡は、中世から近世の集落跡で、多くの掘立柱建物跡や井戸跡、遺物などが平成4年の発掘調査で出土している。

建物跡は当時の一般的な民家と見られる一方、遺物として備前焼や青磁、白磁、石鍋、宋銭など、中世に広く国内に流通していた品々が、数多く出土している。南北朝時代には、「梨原商人」がいたと史料にも見え、今も「宿」の地名が残ることから、この遺跡の周りは、中世の街道沿いの「宿」と呼ばれる町のひとつ「梨原宿」として、船坂峠を越えて山陽道を行き交う人々で賑わったものと思われる。」と記されてあった。

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そのまま進んで行くと2号線に合流した。この辺に食事をするところがなく、コンビニもない。ちょうどドライブイン「食事処やぶ」があったので、入ることにした。この店は中年夫婦二人で経営しているようだ。雨合羽とレイン用ズボンを脱いで席に着いた。客は私一人だ。朝から霧雨小雨が降り続け、気温が下がってきたので、温かいラーメン定食(唐揚げ、ライス付)を頼んだ。休憩を取りながら、行程を確認した。計画では有年峠を越え、坂折池、長谷川を渡って、山陽道西有年一里塚跡を通って、2号線に出るのだが、途中の道はほとんど人家のない山道を歩くことになる。距離は約5km。山道なので1時間半の道のりだ。そこで計画を変更して、車が行き交い、歩きやすい国道2号線を
くことにした。

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大避神社も通過して有年駅まで約10km、2時間の行程だ。天気も悪く、気温が下がってきたので、有年駅から相生駅まで電車で行くことにした。13時に店を出れば、約2時間の15時に有年駅に着し、1510分発の電車に乗ることが出来る。雨合羽とレイン用ズボンをはき、店を出発した。

鯰峠の標識がある場所を通過した。この道は赤穂国際カントリークラブの真ん中を横切っている道だ。赤穂市に入った。馬路池ほとりに明治天皇駐軍之碑が建立されてあった。
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更に進むと東有年・沖田遺跡公園があった。ここは弥生時代の集落があった場所で、公園北側には復元された古墳時代後期の住居があるという。霧雨が降る中順調に15時ちょうどに山陽本線有年駅に到着した。予定通り1510分の電車に乗り、相生駅には1516分に着いた。もし、「食事処やぶ」から宿泊地の「東横イン相生駅新幹線口」まで、歩いて行くと、約18kmで到着は17時になっていて、十分に休養が取れないだろう。京都までは後4日かかる。

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予定を変更して正解だった。ホテルにチェックインしたのは1520分で2時間早く着いた。本日の歩行距離は31km、歩数は44,045歩の旅だった。早速、いつも通りホテルのコインランドリーで洗濯を行い、シャワーを浴びてから、ホテルの隣にある居酒屋で、生ビール、厚揚げ豆腐、焼き鳥4本、ベーコンとアスパラガスのサラダ、親子丼を注文し、食べながら一日を振り返った。小雨でも一日中降っている中を歩いていると、天気の良い時とは疲労感が全く違う。靴の中が濡れ、右足小指のマメが水でふやけてしまい、治療しようとして、バンドエイドを剝がしたところ、小指の爪も一緒にはがれてしまった。

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