徳太子が建てた寺院とのこと。また太子町は「宮本武蔵生誕の地」と言われている石海神社があり、晩年の宮本武蔵が記した「五輪書」に、「生国播磨の武士」と書かれているとのこと。宮本武蔵に関する資料は過去の大火災で喪失しているが、生家跡として云い伝えられた場所には古井戸が残っているとのこと。
ここから179号線を進み、上之池を右手に見て、Y字路を左に入る。最初の信号の横断歩道を渡り、Y字路を右折し進む。2号線を突っ切り、青山団地第三公園を右に曲がり、青山西5丁目の信号から2号線の歩道を進み、但陽信用金庫ATMを斜め左に入っていく。
昔は西国街道には夢前川の船の渡し場があったのだが、今はなく、西国街道も途中で途切れている。現在では道なりに進み、2号線に出て左折し、夢前川の夢前橋を渡る道しかない。2号線と西国街道が入り組んでいて、歩きにくかったが、グーグルナビで西国街道が標記されているので、助かった。まもなく山陽新幹線の高架下を通って、播磨高岡駅に着いた。昼食をコンビニで済ませ、姫路城に向った。
ここから西国街道が所々入り混じっているので、姫路城までは2号線を進むことにした。姫路城の外堀と見られる船場川に架かっている白鷺(はくろ)橋を通り過ぎると、姫路城の外郭の石垣の一部が見えてきた。石垣沿いに進み、大手前通りの信号に来た。
右に行くと姫路駅、左に行くと姫路城広場だ。左に進み大手前公園を右に進み、多くの観光客と一緒になって進んで行った。「国道2号線建設之碑」が目に留まった。碑には「この石碑は昭和7年(1932)2月、国道2号線の回収を祈念して建てられた。改修にあたって、中堀東西約450mに渡って埋め立てられた。中堀があったことが分るように、その境界にこの石がたてられた。
この石碑は、元々は道路の西側にあったが、昭和61年(1986)の国道2号線拡張工事のため、同署に移転された。中堀の埋め立ては大正期にも進められていた。
昭和7年当時、この石碑から東側はすでに埋め立てられて商業地区に変貌しており、姫路市立女子技芸学校(現在の姫路市立琴丘高等学校)も建てられていた。」と記されてあった。
また、姫路城の中濠(なかぼり)跡の案内板があり、「この土塁は姫路城の中濠の土塁で、その南にある国道二号線は中濠を埋め立てて埋設されたものです。この濠より外曲輪には主に町屋が