山陽道・西国街道旅日記 十四日目(P73~74/P89)

十四日目 4月28日 金曜日

 291-1.jpg4時起床。天気予報は曇り、気温は14℃から22℃だ。足の調子は良い。今回の計画段階で、ここ神戸からどこまで行けばよいか、一番悩んだ。郡山宿までの約40㎞の距離が一番良いのだが、近くにホテルがない。手前の桜井駅近くでもホテルを見つけることが出来なかった。やむを得ず、高槻駅近くのホテルに宿泊することにした。問題は高槻駅近くのホテルまで約50㎞の距離だ。およそ12時間の行程になる。史蹟・旧跡を見学すると1314時間を要する。朝5時に出発しても到着は午後6時過ぎだ。いろいろなルートを探したが、三ノ宮駅から芦屋駅までの区間を電車で行き、芦屋駅から高槻のホテルまで約37㎞を行くことに決めた。

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ホテルを550分に出発して、昨日行くことが出来なかった海軍操練所跡に向い、6時に到着した。海軍操練所跡は現在の中央区新港町にあり、錨(いかり)の形をした記念碑が建っている。神戸海軍操練所は、「明治維新の中心人物として幕末の志士たちに大きな影響を与えた勝海舟は、神戸を拠点に壮大な構想を実現させようとしました。海軍操練所跡は現在の中央区新港町にあり、錨(いかり)の形をした記念碑が建っている。

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神戸海軍操練所は、「明治維新の中心人物として幕末の志士たちに大きな影響を与えた勝海舟は、神戸を拠点に壮大な構想を実現させようとしました。操練所の開所期間は非常に短かったものの、その間に坂本龍馬、陸奥宗光など新しい時代を担う人々を育て、日本の海軍の歴史にも大きな足跡を残した。」とのこと。

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すぐ近くに神戸の発展に寄与した網谷吉兵衛の顕彰碑が建てられていた。碑には「72歳にして安永新田に船蓼(ふなだて)(舟底の貝殻や舟虫などを焼く場所)の建造に着手、苦節三年大願成就する。1863年時の将軍家茂公が小野浜に上陸の際『この地は港に最適でございます』と進言し、後年この船蓼場は勝海舟の幕府海軍操練所となって、神戸港の夜明けを迎え、今日の繁栄の基礎となる。

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明治293日天寿八十戸歳」と記されてあった。三ノ宮駅発625分電車に乗り、芦屋駅に633分に到着、ここからが高槻に向けての第一歩が始まる。最初の訪問地は西宮神社まで約3㎞、途中、西国街道(171号線、国道2号線)に出て、着いたのは715分頃だった。西宮神社(にしのみやじんじゃ)は、兵庫県西宮市社家町にある神社で、全国に約3,500社あるえびす神社の総本社であり、地元では「西宮のえべっさん」と呼ばれているという。


291-6.jpg第一殿はえびす大神、第二殿は天照大神(あまてらすおおみかみ)、第二殿(治初年に配祀)は大国主神(おおくにぬしのかみ)、第三殿は須佐之男大神(スサノオ)を祀っているという。また福男選びでは、110日午前4時から「十日えびす大祭」が執り行われ、午前6時に終わると同時に表大門が開かれ、参拝者が本殿までの230mを「走り参り」して、先着の3人が福男と認定される恒例の「十日            

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