2022年6月9日、水戸プラザホテルにおいて、「令和4年茨城県経営者協会の定時総会・講演会」が行われた。
開会挨拶は寺門一義会長、来賓を代表して下角茨城労働局長が代表して祝辞を述べた。会則により寺門会長が議長の任につき、第一号議案から第四号議案まで承認可決された。今回の総会では役員の改選期にあたるので、理事は別室に移動して理事会を開催し第一号議案「会長・副会長、専務理事の選定について」、第二号議案「名誉会長、顧問、参与の委嘱について」承認され、寺門会長と小濱副会長の退任と新会長に笹嶋律夫氏(常陽銀行会長)、副会長には家次晃氏(日立埠頭社長) 、若松賢太郎氏(日本製鉄鹿島地区副所長)が就任した。理事会を開催している間、議場では新入会員の紹介が行われた。
休憩後、記念講演ではテーマ「ビジネスモデルをチェンジ、時代とともに変化し成長へ~なくてはならない人となれ、なくてはならぬ企業であれ」と題して、アダストリア代表取締役会長 福田三千男氏に講演頂いた。アダストリアの成長の源は「変化」であり、成長戦略は「マルチブランドプラットフォームの進化」、「自社ESドットエスティ」、「海外事業」、「飲食事業」、「新規事業開発」と喝破しておられた。30分の名刺交換会を行ったのち、交流懇親会は密にしない配慮から、2部屋に分かれ着席式で行われた。私は副会長として乾杯の指名を受けたので、次のように挨拶した。
「只今、ご紹介をいただきました副会長の髙橋です。定期総会・講演会と長時間にわたり、ご参加いただきありがとうございました。おかげさまで、総会を無事終えることができましたこと お礼申し上げます。寺門会長にはコロナ禍の中、さまざまな課題解決のご指導をいただき、ありがとうございました。小濱副会長には18年の長きに渡りご指導いただき、感謝申し上げます。笹島会長・家次副会長・若松副会長 どうぞよろしくお願いいたします。そしてアダストリア代表取締役会長の福田様 ご講演ありがとうございました。」以上の口上を述べて乾杯した。その後、大井川知事が議会のため、遅れて参加した。経営者協会総会成立の祝辞をのべ、茨城県活性化のため、経営者の皆さんにはなお一層頑張って欲しい主旨の挨拶を行った。新型コロナで自粛していたため、久しぶりの懇親会となった。着席式なので、参加者が移動することなく和やかに、懇親会が行われた。
最後に、幡谷副会長の挨拶があり、令和4年度定時総会が無事終了した。
茨城県経営者協会は、昭和22年7月に県内の経営者を中心に組織し、企業経営の安定と労使関係の正常化、勤労者の福祉増進をめざして事業活動を展開し、時代環境の変換とともに活動領域を広め、地域社会に期待させる役割を果たすべく、地域の総合的経済団体としての基盤を固めながら、県内経済界の合意形成に努め、県行政の政策形成に積極的に参画して来た経済団体です。私は副会長就任し、10年目を迎えました。毎年1月の新年号に会長・副会長の挨拶を寄稿するのが恒例になっています。今回は私事の体験談を寄稿しました。
茨城県経営者協会は、昭和22年7月に県内の経営者を中心に組織し、企業経営の安定と労使関係の正常化、勤労者の福祉増進をめざして事業活動を展開し、時代環境の変換とともに活動領域を広め、地域社会に期待させる役割を果たすべく、地域の総合的経済団体としての基盤を固めながら、県内経済界の合意形成に努め、県行政の政策形成に積極的に参画して来た経済団体です。私は副会長就任し、10年目を迎えました。毎年1月の新年号に会長・副会長の挨拶を寄稿するのが恒例になっています。今回は私事の体験談を寄稿しました。
新年あけましておめでとうございます。
昨年、緊急事態宣言下の4月25日から5月7日にかけて、一人で東海道五十三次を歩いて旅してきた。日本橋を朝4時に出発し、銀座1丁目から8丁目を通り、品川宿、神奈川宿、保土ヶ谷宿を経て42km戸塚宿に到着。2日目は藤沢宿、平塚宿、大磯宿を経て小田原宿まで41km、7㎏のリュックを背負い、二日続けて40㎞以上を歩くのは初体験だが、10時間かけて到着した。3日目は小田原宿を5時に出発、箱根の旧街道を5時間かけて登り、三島宿まで36km。4日目は沼津宿、原宿、吉原宿、蒲原宿を経て由比宿まで35kmで体も慣れてきた。5日目は本来なら興津宿、江尻宿、府中宿、丸子宿を経て岡部宿に行くのだが、大雨のため、歩くのを断念し電車とバスを乗り継いだ。6日目は藤枝宿、島田宿、大井川を渡り金谷宿、日坂宿、掛川宿まで36kmだが、途中住宅地に入り、旧道の道が分からなくなり迷子になった。旧街道の絵地図とグーグルナビを使ったが、ナビは進行方向に道が示されないので、自分の位置が分からなくなる。7日目は袋井宿、見附宿、浜松宿を経て舞阪宿まで36km、途中雨に降られ難儀した。8日目は新居宿、白須賀宿、二川宿、吉田宿を経て、街道風情をたたえる国の天然記念物の松並木が残る御油宿まで42km、9日目は赤坂宿、藤川宿、徳川家康の居城があった岡崎宿を経て愛知県の知立宿まで37km。10日目は鳴海宿、宮宿、桑名宿まで43km、江戸時代は宮宿の「七里の渡し」から船で桑名宿まで行くのだが、現在は船がないので、木曽川を渡り中州を横断し、長良川・揖斐川の橋を渡り熱田神宮手前を左に曲がり、桑名宿に行った。11日目は三重県の四日市宿、石薬師宿、庄野宿を経て、亀山宿まで37km。12日目は関宿、坂下宿、水口宿、石部宿まで43km。関宿には江戸時代にタイムスリップした街並みが東西2kmに渡って続いていた。13日目は草津宿、大津宿そしてゴールの京都三条大橋だ。午後から雨の予報なので、4時に出発し正午前に到着。今年は旧中山道540kmへの挑戦だ。