昨年12月7日、水戸三の丸ホテルにおいて、日刊工業新聞社の水戸支局長から 約2時間のインタビューを受けた。2013年1月1日付け、2012年産業人クラブ新会長のインタビュー記事が掲載された。
記事の前段要約では
2013年が幕を開けた。安倍晋三首相による日本経済復活に向けた政策に産業界は大きな期待を寄せている。全国各地の中堅・中小企業経営者を中心に組織する産業人クラブは支部を含め30組織あり、会員は1800人。日刊工業新聞社の支社・総局・支局が事務局を務める。異業種交流組織の草分けとして14年には栃木産業人クラブなどが創立50周年を迎える。地域を越えた産業人の交流は、ビジネスのヒントになるだけでなく、経営者同士の絆を強固にする。年頭にあたり、茨城、栃木、新潟の各産業人クラブ会長に今年の抱負を聞いた。
以下一問一答形式。
Q-景気は不透明感が払拭されません。
A-「2012年7月に茨城産業人クラブ会長に就任した時から比べて、厳しさが増していると思う。円高は長期化し、さまざまな法整備や税の問題、さらにエネルギー問題など課題は山積みだ。例えば電気代の値上げの問題では、わが社は年間4000万円の負担増になる。コストの中で電気使用の占める割合が、高い企業はもっと大変だと思う」
Q-建設機械用油圧機器向けの部品の加工が主力ですが、建機の巨大市場である中国は混迷しています。
A-「世界の建機市場の半分は中国。当社の主力ユーザーが戦う油圧ショベルの市場はマイナス成長が続いている。中国は政治・経済の混迷が複雑に絡み合い楽観できない。一方で、日本や米国、アフリカの市場は好調。12年12月に南アフリカ共和国とザンビアを訪問し大型建設機械を使った露天掘りの鉱山などを視察したが、市場に勢いを感じた」
現地販売に方針転換したとのことですが。
進出当初、現地法人ではコストメリットを活かした部品を、国内では付加価値の高い作業を行っていました。現地法人で加工したものは100%本社へ輸出し、本社で品質保証をして販売していました。しかし98年のアジア通貨危機の際に仕事量が激減し、現地法人に発注する仕事が無くなってしまいました。日本向けの仕事だけでは、需要の変化に対応できないという教訓から、日本の本社向けに20%確保すれば、自社で営業活動を行い、自立する活動に方針転換しました。それから、顧客の紹介などの人脈を通じて、現地法人は新規取引先の開拓に取り組んできました。その結果、現在の取引先は上海に進出している日系メーカーにとどまらず、欧州メーカーにも広がりました。販売先の割合は、本社向けの輸出が10%で、現地日系メーカーな販売が40%、50%は欧州メーカー向けに輸出しています。
上海における事業環境の変化はどのように変わってきましたか。
上海では、人件費が急速に上昇しています。進出当時、人件費は工場労働者で約8千円だったが、現在は残業代まで含めるとおよそ4万円から5万円に上昇しています。また、上海などの沿岸部の人件費の上昇により、生産拠点が内陸部へシフトしていることも大きな懸念材料です。今後、内陸部に働く場所が出来たことで、内陸部から農民工といわれる労働者が、沿岸部まで出てくるかは不透明な状況になっています。
拡大する需要への対応は。
建機業界は、需要の変動が激しい産業です。油圧機器の需要は、リーマンショック後に大幅に減少しましたが、その後回復し、新興国の需要増加を背景に、2010年度比で2015年後は1.5倍に伸びると予想されています。当社も、拡大する需要に対応できる生産体制をいかに構築していくかが今後の課題になっています。設備投資だけでなく、人材の育成も最重要になっています。
企業の発展に向けては。
当社が進出した当時に比べ、中国に進出している日系企業も多くなりました。行政や地元金融機関の事務所も現地に置かれ、情報を集めやすくなっています。今後も国内の事業環境が好転することは、期待できない状況です。中小企業も国内だけにとどまらず、海外に進出して相乗効果をもたらし、国内の事業を発展させることが重要だと思います。
常陽銀行のシンクタンク「常陽地域研究センター」の月刊誌4月号の「視点」に、中小製造業のグローバル化と題して寄稿した。同時に研究委員から様々なことのインタビューがあった。
スプールの製造販売で世界シェア4割とのことですが。
当社は、油圧機器の専門製造メーカとして、原材料から、NC工作機械による切削加工、焼入れ、研削、組立、試験の一貫生産ラインを構築し、油圧のピストンポンプやバルブのOEM(相手先商標)商品と油圧機器の精密部品を販売しています。
中でも、油圧ショベルの主要コンポーネントであるコントロールバルブのスプールは、バルブ内に組み込まれたスプールを動かすことにより、建機の円滑な操作を可能にするもので、当社は世界シェアの約40%(当社推定) を生産しています。
海外進出時の苦労は。
中国上海に進出したのは1991年です。当時茨城工場の拡張を検討していましたが、土地の用途変更があり拡張できなかったこと、バブル経済の真只中で人員が思うように集まらなかったことが進出の背景にありました。
このような事情から、当社独自の判断で進出を決断しました。当時は中国に進出している企業が少なかったため、周囲から当社の事業規模では進出を考え直すよう言われました。当時の政府はココム規制がある共産圏への投資に協力的ではありませんでした。
海外進出に際し一番苦労したことは、そうした時代背景の中で、近くに相談できる相手がいなかったことです。国内で働いていた中国人や同時期に北京に進出しようとしていた商社、既に進出していた顧客等から現地の情報を集めました。
常陽銀行のシンクタンク「常陽地域研究センター」の月刊誌4月号の「視点」に、中小製造業のグローバル化と題して寄稿した。
超円高に加えて電力不足や値上げなど、中小企業を取り巻く環境は大変厳しいものがある。国の成長戦略が明確でない中で、成長が著しいアジア市場に出て行くか、国内に残って頑張っていくか、日々将来の協立製作所の成長戦略を模索している。中小企業はひと・もの・金が脆弱な場合が多い。従って外に打って出るには相当の覚悟を決めて、展開しないと失敗したら本体の経営に影響が出てしまう。
このような状況の中、常陽地域研究センター通称「JOYO ARC」の遠藤研究員から寄稿の依頼があった。
体を鍛え、夢を追う
坂寄 休日はどんなことをして過ごしますか。
高橋 ゴルフとジョギング、マラソンですね。週一のジョギングは5キロから10キロ、これはゴルフを続けるための基礎体力作りです。ゴルフはなんとか今年中にシングルになりたい。去年12月までにシングル入りを果たしたかったのですが、果たすことが出来ませんでした。シングルプレーアーになって、シニアゴルファーになるのが次の夢です。
坂寄 HPを拝見しますとフルマラソンに挑戦したそうですね。
高橋 去年初めてホノルルマラソンに出ました。
6時間半でゴールしました。制限時間がないので、ピクニック気分で楽しく走れます。ここでは5歳刻みの年齢ごとに到着順位が示されて、95歳~100歳という枠もありました。アメリカ人で腰が90度に曲った人が走っていましたよ。走っている格好は、ほとんど歩きでしたね。3万人参加するホノルルマラソンで半分ぐらいが日本人と言われますので、平均旅費がいくらで、どのくらい経済効果があるものやら。東京マラソンは制限時間が7時間ですよね。1日ぐらい東京停めたってかまわないから、制限時間をなくしたらどうかとか、今年は申し込んだのですが抽選で外れましたので、10万円払って走るチャリティーランナーをもっと増やすために、7万円にして基金を増やしたらとか、外国人枠を10,000人とかに増やして出場人数を
35,000人から倍にして東京を活性化したらどうかとか、苦しかった30㎞付近から、いろいろ愚考を広げ、楽しんでゴールしました。
坂寄 忙しい社長業を退任したらどうなさいますか。
高橋 女房とは唯一趣味が合って楽しめる海外旅行にでかけたいものです。若いころからほとんど家を留守にしていましたので、その穴埋めに頑張らないとね。息子は31歳になりますが、最初から生産技術部に入れました。若いうちに技術技能をしっかりと身につけて、一人前の生産技術者になってから営業を経験させようと思っています。これからは次の世代の後継者育成にも力を入れていきたいですね。
坂寄 巨大地震の後でご多忙のところ、貴重なお話を拝聴しました。ご活躍とご発展をお祈りいたします。ありがとうございました。