山陽道・西国街道旅日記

山陽道・西国街道旅日記 八日目(P42~43/P89)

のだという。商店街を過ぎると左手の山には千光寺が見え、                                       
右手275-1.jpgの瀬戸内海には向島が見え、尾道駅裏手に尾道港がある。国道2号線にでて、郵便局前を左に曲がっていくと、標高300mの防地峠を登って行った。約30分で頂上に着き、下界を見下ろすと、尾道市街と瀬戸内海の向島と小さな岩子島を見る事が出来た。頂には「東の番所跡・領界石」があった。領界に当たる場所には「是より西 藝州領」、「従是東 福山領」と有り、我々は東の福山領に向った。

今日から一緒に旅をすることになった田部井さんの    足取りも快調だ。昨年も中山道の旅で日本橋から浦和まで25kmを走破し、最長の距離を歩いた。自信がついたので、(1200)も一緒に越えることになった。

275-2.jpgのサムネール画像

順調に進み、藤井川を渡り、今津宿本陣跡(河本家)に着いたのは11時半だった。今津宿本陣跡は、豊臣秀吉の全国統一が実現し、文禄・慶長の役にあたり、京都大阪から肥前名護屋に至る街道が整備され、慶長七年(1602)には今津宿が設けられた。江戸幕府による宿駅・伝馬の制や大阪から長崎に至る西国街道が整備充実され、今津宿は神辺・尾道間の宿場町として戸数三百戸以上、商家軒を連ねて賑わったと伝えられている。宿の中核となった本陣は代々庄屋職を務めた河本家により世襲され、現在でも表門、堀、石垣などに当時の面影を残しているという。

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昼食を取り、二人で話しながら歩き、大分経ってから田部井さんから道が違うのではないかと言われ、再度確認したところ真直ぐに進むところ、右に曲がってしまったようだ。やむなく来た道を引き返したので、往復で10km近く余計に歩いてしまった。

計画では備後赤坂駅から電車に乗って、井原駅まで行く予定だったが、既に歩行距離は30kmを越えているので、一つ手前の松永駅から井原駅まで行くことにした。私も計画を変更して一緒に行くことにした。松永駅から山陽本線(長船行)福山駅で乗換えた。ホームの目の前に福山城がそびえたっていた。福山城は元和8(1622)に              築城され、伏見櫓、鉄筋御門は、京都伏見城から移された        

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もので重要文化財とのこと。五層の天守閣は戦災で焼失したが再建され、内部は郷土博物館として歴代藩主の遺品、草戸千軒町遺跡から出土品が展示されているという。福山藩祖の水野勝成は安土桃山・江戸初期の大名で、関ヶ原の戦い、大阪夏の陣で、数々功を上げ、元和5年、福山に移封された。福山駅から福塩線(府中行)で神辺駅に行き、神辺駅から井原鉄道(早雲の里荏原行)に乗って井原駅1552分に到着し、タクシーでビジネスホテル歴上荘に着いたのは16時過ぎだった。

行程は間違ったが、到着時間は予定通りだった。結果として田部井さんは35.7kmを走破し、新記録を達成した。

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チェックイン後、いつも通り洗濯をするため、ランドリーに向った。途中食堂があったが、客が少ないので、食事は提供していない。新型コロナのため、客はいなかった。客層は近くの工場への出張者や長期の期間工が多いとのこと。風呂場は大きく、  足を延ばしてリラックスすることが出来た。食事は、田部井さんが周りを散策した時に、見つけた居酒屋に入り祝杯を挙げた。しかしここで事件が起きた。ビールを飲み、食事が終わって、ほろ酔い気分で帰ろうとしたとき、靴を履いたところ、感触が違う。足裏の感触と全体の作りが貧弱だ。何度確認しても私の靴はなかった。客は5~6人と少ないので、私の靴を間違えて履いて、帰ってしまったに違いない。HOKAの長距離を歩く靴だ。店に間違いのことを話してもここに帰ることはないので、残された靴を履いてホテルに帰った。9時過ぎに就寝。

山陽道・西国街道旅日記 八日目(P40~41/P89)

八日目 4月22日 土曜日

 

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5時起床。前日、コンビニで買ったおにぎりで朝食を済ませ、出発は6時。今日の計画は尾道市、防地峠、今津本陣跡、備後赤坂駅まで26kmは、田部井さんと一緒に行き、田部井さんは備後赤坂駅から電車で井原駅に行き、ビジネスホテル歴城荘で合流する。私は大渡橋、神辺駅まで36kmを歩き、ここから電車で井原駅に行きホテルで合流する。

最初の計画では、三原市から36km先の神辺駅近辺の宿泊だが、ホテルがない。そこで旧山陽道から大きく外れるが、神辺駅から電車で、福山市の福山駅に行って宿泊しようと思った。

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福山市は広島県の中でも大きな都市である。しかし2ヶ月前にネットや電話で、ホテル、旅館、民宿のすべてにアクセスしたが、すべて満室だった。あまりに込んでいるので、旅館の人に聞くと、「ももいろクローバーZ」というアイドルのコンサートがあるので、福山市一帯の宿泊施設はどこも満室とのことだった。予約が取れたのは、岡山県井原市の井原駅から徒歩15分の所にあるビジネスホテル歴城荘だけだった。私は旧山陽道を歩いて井原まで50km、正味10時間だが、食事、休憩、見学などを加えると、11.5時間はかかる。行けないことはないが、まだ先があるので、無理のない計画にした。

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事前に田部井さんに理由を話して、井原駅のビジネスホテル歴城荘に、宿泊することを連絡した。田部井さんも同ホテルの予約が取れたことを連絡してきたので、変則の行程に決まった。

 最初の目的地は尾道だ。県道185号線を進み和久原川を渡って、山陽本線糸崎駅を通り、糸崎神社に着いたのは644分だった。糸崎神社は尾道と三原を結ぶ国道2号線沿いにあり、瀬戸内海に面し、長井の浦と呼ばれる風待ちの浦として「万葉集」にも読まれている歴史ある旧県社とのこと。境内にそびえる御神木の大楠(クスノキ)は、樹高30m、胸高さ幹囲13m、樹齢推定500年で、三原市の天然記念物に指定されている。

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                神社を後にして、5分程進むと「六本桜 一里塚跡」の石柱があった。瀬戸内海沿いを進んで、尾道駅に着いたのは8時50分だ。旧道を少しそれて、アーケードが掛かっている「尾道本通り商店街」に向った。朝早いので開いている店は少なかった。

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商店街のアーケードには、大きな垂れ幕「古寺めぐり入り口千光寺公園登山口」が目に入る。千光寺は標高140m、尾道港を一望する大宝山の中腹にあり、弘法大師が開いたと伝えられている。


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「尾道町奉行所 平山角左衛門尚柱」と「奉行所跡」の石柱、「尾道商工会議所創立120周年記念碑」などがあり、この商工会議所の建物は鉄筋コンクリート造りとしては、現存する日本最古のも

山陽道・西国街道旅日記 七日目(P38~39/P89)

立ってあった。竹原の歴史は全く知らない。273-1.jpg
調べてみると、古くから瀬戸海の交通の要衝として発展した。室町時代より港町として知られ、江戸時代後期は製塩業で栄えた。「安芸の小京都」と呼ばれ、県道330号線と国道2号線の分岐点から竹原市の中心部は約8km、瀬戸内海の港町にたどり着く。山沿いを歩いていると、瀬戸内海は全く見えなかった。1982年には、たけはら町並み保存地区が「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されたと云う。計画段階では、竹原市の事は知らなかった。30位進むと道路の標識があった。岡山107km、福山48km、三原市街16kmとある。このあたりの街道は平たんで歩きやすい。

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標識のある地点から20分位すると、史蹟貞丸古墳と記された白木板が目に入った。貞丸古墳は沼田川支流の尾原川の左岸丘陵斜面に営造された古墳群で、1号、2号古墳がある。築造時期は古墳時代終末期の7世紀前半頃と推定されている。更に40分程で御年代(みとしろ)古墳の入り口の案内板があった。御年代古墳は、古墳時代終末期の7世紀中葉頃の築造と推定され、畿内型古墳で全国的にも数の少ない複室構造の1石室2石棺の古墳である点で注目され、沼田地方の首長墓として当時の政治情勢を考察する上で重要視される古墳であると云う。旧山陽道の絵地図に載ってあったので、旧道を歩く時の目印にしただけで、古墳自体の見学は行わなかった。次に向かうのは安芸高木山城跡だ。旧山陽道と並走して国道2号線が走っている。12時半頃に昼食を取り15分位休憩をとったのち、目的地に向かった。

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絵地図とナビで歩いて行った場所は、小さな集落で10件程の家がある場所に着いた。しかし城跡らしき空間がなく、標識もなかった。3回ほど行ったり来たりしながら、探したが見当たらない。上の方を見ると小高い丘にそれらしい公園が見えるが、周りに人影もなく、聞くこともできない。グ―グルで検索したが、城跡の位置は民家を指している。別のサイトを見ると山の上に矢印で指している写真があって、これかなと思ったが、案内板もないので、登って行くことをあきらめた。進んで行くと、程なく甑(こしき)天満宮に着いた。説明文によると、甑天満宮は石段を登って行くと社殿があり、祭殿には天神様、学問の神様として信仰されて菅原道真公はじめ、その他諸神を祀ってある。

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伝承によると「延喜(901)元年、菅原道真が左遷され九州大宰府へ下向の途中に立ち寄ると、土地の人々は水不足で大変苦労していた。道真は自ら井戸を掘りはじめると、こんこんときれいな水が湧き出し人々を救った。


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里人は道真の干飯を甑で蒸して差し上げた。その後この甑で納めて祀ったのが甑天満宮である。」と言われている。足を先に進め、沼田川を渡り、20分程で山陽本線本郷駅に到着した。午後1時半だった。

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宿泊地の三原ステーションホテルには、昨年、中山道の日本橋から浦和、横川から碓氷峠を越えて軽井沢まで、一緒に歩いた田部井さんが待っている。本郷から途中は沼田川沿いに国道2号線の歩道を歩いた。3時半に三原市郊外に到着し、5時半に三原ステーションホテルに到着した。歩行距離40km、歩数57,417歩だった。ホテルで田部井さんが出迎えてくれた。早速、チェックインし、シャワーで汗を流し、三原名物のタコ料理を食べようと、三原市1番人気の店を紹介してもらった。

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徒歩3分とのこと。店に入ったが、予約でいっぱいで断られた。やむなく次の店に入って、蛸をメインに料理を注文し、ビールと地酒を飲みながら、     昨年の中山道の思い出や下関からここまでの出来事を話し、盛り上がった。明日の打合せを行い、早めにホテルに帰り、9時に就寝。

 



山陽道・西国街道旅日記 七日目(P36~37/P89)

七日目 421日 金曜日

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5時起床。前日、コンビニで買ったおにぎりで朝食を済ませ、出発は7時。今日は仁賀(にか)ダムを通り、目印の賀茂川荘行き、国道2号線と合流して、安芸高木城跡、山陽本線本郷駅、三原城址、三原ステーションホテルまでの約37kmあり、仁賀ダム展望台までは約10kmの道のりだ。

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街道の情報がない一般道を行くのはつらいものがある。ホテルを出て、安芸津下三永線を右方向に上三永ICまで進み、高架下を通って、県道330号線(上三永竹原線)を右折すると一本道だ。仁賀峠に向けて緩やかない登り坂が続く。


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出発して1時間を過ぎたころ集落が見えてきた。少し先に進んで行くと竹原市の標識があり、更に歩を進めていくと「仁賀町 上仁賀」の道標が、目に入る。その先に、浄土真宗本願寺派鳥越山延命寺があった。この辺は信仰心の篤い檀家が多いのだろうと思った。檀家がしっかりしていなければ、この立派なお寺を維持することが出来ないだろう

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この辺りから緩やかな下りになる。上仁賀の集落を通り過ぎ、しばらくすると仁賀ダムのダム湖(芙蓉湖)が見えてきた。仁賀ダムの展望台が最初の目印だ。目的地が見えてくると歩くのが早くなる。仁賀ダム展望台に着いたのは910分だった。歴史的な情報のない道を歩くと、精神的につらいと思ったが、自然豊かな道や集落を歩いていると、住む人の息づかいを感じることが出来、精神的なつらさはなかった。

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仁賀ダムは、賀茂川水系賀茂川の治水ダムとして建設され、賀茂川治水計画の一環をなすもので、洪水調整、既得取水の安定化、河川環境の保全を目的としていると云う。仁賀ダムを後にし、第二の目印、賀茂川荘に向う。行程は賀茂川沿いに県道330号線を行く。ほぼ平坦な道で足も楽だ。ダムの下に仁賀ダム下広場というのがある。多目的広場で人工芝になっており、グランドゴルフや野球等、様々なスポーツが楽しめるという。
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また下流にはゲンジボタルが生息していることから「ホタルの里」として整備ていると云う。10分もしないうちに仁賀小学校が見えた。このような山深いところに小学校があることが、にわかに信じられない。規模も大きそうだ。さらに進む。
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   賀茂川沿いを歩いて行くと、仁賀地域交流センターやコミュニティセンターの梅王館を通り過ぎ、賀茂川荘が見えてきた。



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10時、予定通りだ。賀茂川荘は県道330号線から山陽道(国道2号線)に合流する分岐点にあったので、目印の場所とした。調べてみると、ここは湯坂温泉郷といい、およそ1350年前の大化の改新の頃、山陽道の宿駅として栄えたと伝えられている。そのまま真っ直ぐ進むと山陽道(国道2号線)に出た。

 山陽道(国道2号線)を右に曲がり、しばらく緩やかな登り坂を行く。1時間位すると「歴史と文化の町 竹原にまたどうぞ」と記された案内板が  

山陽道・西国街道旅日記 六日目(P34~35/P89)

271-1.jpgように続いている。中大山交差点を通り過ぎ、桜河内交差点に出た。この右手には瀬野川公園やデイキャンプ場の案内板があった。更に進むと「涼木の一里塚跡」の道標が立っていた。そのすぐ先には「吉田松陰詩詠の地」の道標があった。

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旧山陽道には吉田松陰の痕跡が数多く残る。若くしてその意思を貫き通し、処刑されたが、松陰の影響を受けた多くの長州人によって、維新を成し遂げたことに改めて尊崇の念を抱いた。ここから20分程で大山峠の頂上に着いた。大山峠は、標高は低いのだが、長い登り坂が二か所あり、結構きつかったが、靴下を変えたせいか足の調子は良い。瀬野川沿いを下って行くと、30分程で東広島市八本松町に入り、30分程歩いて行くとハンバーガーの看板があったので、昼食をとることにした。

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店の名前はグレイビージャックという。中に入って、メニューを見ると巨大なハンバーガーだ。高さが15㎝位あり、どのようにして食べるか考えた。両手で持ってもうまく食べられないので、下の方から少しずつ食べることにした。肉がしっかりしていて美味しかった。近くに工業団地があるせいか、お客は若い人が多い。アベックは1個頼んで、シェアして食べている。食べるに大分時間を要した。家に帰ったら、もう一度食べたいと思ったので、店員さんにこの店は他の地域でも展開しているか尋ねたが、ここでしか営業していないとのこと。残念。

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店を出ると気温は25℃に上がっていた。10分ほど行くと「長尾一里塚跡」の石碑があった。八本松駅手前を右に曲がり進んで行くと、右手に八本松南運動公園が見える。この辺りは工場、商店、住宅が多く、山陽道の面影はなかった。のまま進んで行くと、広い道に出た。山陽ふるさと街道という。街道から西条駅までの道はナビで行くことにした。この辺りは旧山陽道の道標がないため、道がよくわからない。計画では西条駅近辺のホテルに泊まろうと思ったが、ナビ表示では広島市から西条駅まで34kmと短い、いつも40kmの所で宿を探しているので、中途半端な距離だ。絵地図では、この先にある松子山大池付近までが4.4kmで、ちょうど38.4kmになるので、この近辺で宿を探したが、見つからない。宿は皆無だった。やむなく、旧山陽道から大きくそれてしまうが、西条駅を南下して約6kmの山陽新幹線駅前にあるビジネスホテル「東横イン東広島前」まで行くことにした。
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計画段階でこのルートが一番悩んだ。ポケットサイズの絵地図だと全体の位置関係や方向が分らないので、グーグルマップで広島市から東広島駅までのチェックポイントと、翌々日の三原市までのチェックポイントを経由地の地名に入れていき、地図を作った。いろいろ検討した結果、東広島駅の行程は2.5kmの遠まわりになるが、宿泊施設が決め手で東広島駅ルートにした。     

 

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東広島駅に着いたのは、午後4時だった。ホテルは駅前の通りの、真向いにある「東横イン東広島前」だ。チェックインして、洗濯を終わらせ、シャワーを浴びて汗を流し、ホテルの夕食をとって、ホテルの隣にあるコンビニで朝食のおにぎりと飲み物を購入して、部屋に戻った。今日の歩行距離44km63,416歩だった。明日の天気予報は晴れ気温1221℃。ちょうど良い。9時就寝。


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