旭日単光章とは
旭日章の6種のうち第六等に位置する 勲章。旭日小綬章と共に、各分野における顕著な功績のあった者へ授与される。毎回の受賞者数は旭日双光章に比べると少ない。瑞宝章にも対応する勲等の「瑞宝単光章」がある。 旭日章の6種のうち第六等に位置する勲章。旭日小綬章と共に、各分野における顕著な功績のあった者へ授与される。毎回の受賞者数は旭日双光章に比べると少ない。瑞宝章にも対応する勲等の「瑞宝単光章」がある旭日章の6種のうち第六等に位置する勲章。旭日小綬章と共に、各分野における顕著な功績のあった者へ授与される。毎回の受者数は旭日双光章に比べると少ない。瑞宝章にも対応する勲等の「瑞宝単光章」がある。
令和1年(2019年)8月6日、総務部より内閣府の方からお電話ですと連絡があった。内閣府に知り合いはいないので、何の要件だろうと思いながら、受話器を取り上げたところ、令和2年の春の叙勲候補者に上がっております。お受けしますか、お受けしませんかとの問いだった。思いもかけないことだったので、一瞬間をおいて、お受けしますと返事をした。46年前に東京都品川区の本社に、入社すると同時に、茨城工場に赴任した。従業員は私を含めて4人で、私は創業者の父から旋盤・フライス盤・直立ボール盤等の作業を教わり、部品加工の作業者として従事した。成功するかも分からないまま、倒産だけはしたくないとの気持ちで、がむしゃらに働いたことが走馬灯のように思い出された。
その後すぐにメールで、経済産業省関東経済産業局の担当者から、令和2年春(予定)の「中堅・中小企業経営者叙勲」の候補として挙がっていることから、 8項目の確認をしたい旨の内容だった。受章の意思の確認、過去の褒章叙勲の 有無、他の期間よりの叙勲の候補の有無、創業20年以上・社長歴4年以上、直近の決算の状況(黒字又は赤字)、直近の決算が赤字であった場合、赤字の要因が外部要因であればその理由の記載、候補者が社長就任後業績の状況、任期中の大幅な従業員減少の有無等、「栄転環境の調査・確認の徹底について」の要領書についての質問だった。
功績調書・履歴書・企業概要は容易に作成できたが、売上等推移表の作成が大変だった。社長歴27年間の業績(売上高・経常利益・従業員数)の作成が大変だった。直近の決算が赤字の場合との注釈があったが、過去3年間黒字を確保していたので、作成は容易であった。しかしバブル崩壊直後に社長に就任し、27年分の業績一覧表の作成には大きく時間を割かなければならなかった。特に不況で赤字の要因が外部要因であれば、その理由と従業員減少を記載することである。国内金融危機・リーマンショック・中国需要の経済不透明による長期の不況等を記載した。従業員減少の理由は不況による従業員の自然減を補充しなかったと記載した。提出書類を何度か修正し叙勲担当者の了解を得た後、来年の4月29日に閣議決定あるので、それまでは口外しないように念を押された。
令和2年(2020年)3月17日、叙勲受章の内定通知をいただき、令和2年春の勲章の内示書に必要項目を記載し、提出した。その際本件内示はあくまでも本人に対するものであり、外部に漏れることのないよう情報の取り扱いには注意くださいとのことだった。しかし新型コロナウイルスの感染拡大が続く中で政府は4月16日、特別措置法に基づく緊急事態を受けて、4月28日経済産業省関東経済局から、令和2年春叙勲について、伝達式・拝謁が中止となったことに伴い、緊急事態宣言解除後に弊局より勲章等を受章者様に伝達すること、叙勲については、明日4月29日に新聞に掲載される予定との連絡をいただいた。その後7月17日、関東経済産業局担当次長と担当者が来社され、研修室において賞状と勲章の伝達式を執り行った。弊社の幹部も伝達式に加わり、記念写真を撮った。8月27日に宮殿見学会が実施され、経済産業省本館行動に集合し、バスにて皇居「春秋の間」を見学させていただいた。木造建築の粋を集めた皇居は、外国の宮殿に優るとも劣らないと思った。素晴らしかった。
8月初旬、いつも通り大洗ゴルフ倶楽部でプレーし、ホールアウトしたところ、総務課長が出迎えてくれた。「髙橋さん会報誌の思い出のホールと云う企画に寄稿してほしい」と依頼された。かねてより会報誌の「思い出のホール」を読んでいたので、快諾した。その記事と会報誌の表紙・5番ホールの写真を下記に掲載する。
5年前、5番ホールでイーグルをとれた事が、私の強烈な思い出です。ドライバーは芯をくいナイスショット、ベストポジションの右寄りをキープ、ピンポジションはセンター手前のやや右寄り、残りおよそ170ヤード、5番アイアンをやや短めに持ち、バックスウィングのトップの位置も決まり、バランス良く最高のスイング。フォロースル-もピタリと決まり、そのままボールの弾道を追いかけた。グリーンセンターを狙っていたが、意思に反してややフェード気味に、グリーンエッジに落ちて、そのままカップイン。イーグルだ!ボールが転がって行く様子をはっきりと目で追いながら、信じられない気持ちとこれだからゴルフは止められない、そしてますますゴルフにのめり込んでいきそうな気持ちになった。
未だにホールインワンをしたこともない私がイーグル。それも屈指の難コースである大洗のハンディキャップ1の5番ホールで、イーグルを取れるとは考えもしなかった。しかし奇跡は二度起きた。後半の10番ホールで3打目、およそ100ヤードを左のラフからナイスショットでイーグル。二度あることは三度あるとばかりに、プレーしたが、今日まで奇跡は起きていない。やはりまぐれ?
9年前の58才の時、友人に誘われ大洗のメンバーになった。コースに魅了され次第に訪れる回数が増えていった。そのうちにシングルの域に達したい思いが強くなり、月一ゴルファーが60歳の時には週一ゴルファーに、65歳を過ぎると華麗なる変身を遂げて週二ゴルファーになった。さて70歳からは週三ゴルファーになれるか楽しみである。ちなみに64歳でハンデ9を達成。現在ハンデ8。
最後になりますが、いつも楽しくプレーさせていただいているメンバーに感謝いたします。ありがとうございます。
(左)昭和48年頃の5番ホール
(右)5番ホール全景