2014年は2月末にハンデキャップ9になってから、3・4月は成績が悪く90を切れなくなってしまった。シングルになった達成感が強かったためか、なんとなく次の目標が定まっていないためか、同じ気持ちでプレーしているつもりでも、スコアがまとまらない。どこかのホールで大たたきしてしまう。忙しくなって練習が出来なくなったのも調子を落とした一因かも知れない。
同年5月の連休中に毎日続けて練習したところ、少しずつ感覚が戻ってきた。5月のコンペで84を出し復調の兆しが出てきた。夏休みも練習を行い、コースにも行きプレーしたところ、8月末のころに調子が上向いてきた。9月に行われた大洗ゴルフ倶楽部のシニア選手権で、初日アウト45イン42の87でまわり、二日目アウト43イン41の 84、トータル171でホールアウトした。ハンデキャップ2ラウンドで18、ネット153の9オーバーで優勝した。開場記念杯は10月25日土曜日に出場し、FT・6188ヤード、アウト40・イン39の79ホールアウトし、2アンダーで優勝した。2014年は通算3回優勝し、最高のゴルフイヤーだった。
私が2014年最高のプレーが出来たのは10月5日に開催された理事長杯である。予選を通過した32名が翌週マッチプレーで戦っていく。私は午前の1回戦は大変調子が良く、特にドライバーが近年になく調子がよかった。距離も十分でフェアーウエイのキープ率も高かったので、16番で決着がついた。軽食を取り、2回戦に臨んだ。ドライバーとパティングの調子も持続し、2アップで勝った。3回戦の相手はハンデ3のHさん強敵だ。前半は相手の調子が悪く、私は調子が持続していた。9ホールで4アップし勝てるかも知れないと、後半に望んだが、10番から12番まで連続して負けてしまい、1アップまで後退。イーブンのまま18番ホールにもつれ込んだが、一歩及ばず負けた。でも貴重な体験が出来た。
明けて2015年1月・2月も寒さに耐えて出来るだけコースでプレーしたが、90前後でしかまとめられない。寒さが原因とはわかっていても65歳の年齢を考えると気持ちがくじけそうになる。しかし気候が良くなった4月頃から徐々に調子が上向き、気持ちも前向きになった。その結果4月の大洗ゴルフ倶楽部の「茨城新聞杯」RT・6687ヤードではアウト39イン44の83、ネット74で準優勝、続いて「茨城県知事杯」ではBT・7190ヤヤード(コースレート74.4)をアウト43イン42の85、ネット76で準優勝した。65歳過ぎても進化し続けることが実感できた1ヵ月だった。ハンデ8目指して、頑張るゾー。
当社は1958年に設立、今年で56年目を迎えました。私で2代目です。大学3年の時に、先代社長の父から"後を継ぐか"と問われ、悩みましたが入社する決意をしました。「"挑戦と創造"でお客様のご要望に応える」を経営理念として、日々業務に取り組んでいます。
事業所は茨城県の筑西市に所在しており、主に建設機械に用いられる"スプール"や"バルブ"など、油圧技術を用いた製品を製造しています。
世界における建設機械の需要としては、最近では中国経済の減速が報道されておりますが、それでも世界全体で50%の比率を中国が占めています。
私共も上海に工場を設け、現在のところ30名の社員が従事しております。上海への進出は、手狭になった茨城の工場を拡げるため、近隣の用地を確保したかったのですが、行政から許可が下りなかったことがきっかけです。国内でも土地を探しましたが、適した用地が見つかりませんでした。当時、私は40歳前後でした。大学を卒業して20年近くに亘り、一生懸命仕事に取り組み、当然税金を納めていましたが、このような困難な時こそ行政が手助けすべきではないのか・・・と思い立ちまして、1989年12月22日に初めて上海を訪問し、1991年に進出しました。思い返せば、上海へ進出して20年以上が経ちます。
「意・行・習・人は運命を作る」は私が勝手につくった造語ですが、私の座右の銘としています。意識が変われば行動が、行動が変われば習慣が、習慣が変われば人生が変わる、との意味で、同趣旨の格言は他にもありますよね。
また、皆さん"和顔布施"という言葉を知っていますか?仏教の教えで"無財七施"の一つです。これは私が30代の頃、人材育成など色々な悩みを抱えていたとき、私はいつも険しい顔をしていました。そんな時"和やかな表情にはお布施をする程の価値がある"とこの言葉に教えられ、以来ずっと実践してきました。また心の持ちかたにおいても、お(怒るな)・い(威張るな)・あ(焦るな)・く(腐るな)・ま(負けるな)、の頭文字をとって"おいあくまの精神"を心がけなさい、と先輩からアドバイスをいただき、日頃より心がけています。
これから社会にでて、色々なご経験をされるかと思いますが、本日のお話が少しでも皆さんの、お役に立てば幸いです。今後の益々のご活躍を祈念致します。
7月16日(水) 茨城県経営者協会からの要請で、茨城キリスト教大学の寄附講座の講師として講義を行った。茨城県経営者協会は10年ほど前から大学側の要請と企業の社会貢献の一環として、現役経営者が学生に講義を行うようになり、現在、県内三つの大学で寄附講座を開催している。今回の講座は既に決まっていた講師が、人事異動により寄附講座の出講も日程も調整できないとの事、ピンチピッターとして事務局から要請で、引き受けることにした。今回で3回目の出講である。
茨城キリスト教大学は、1949年茨城県日立市のクリスチャンとチャーチ・オブ・クライスト(キリストの教会)のアメリカ人キリスト教宣教師たちにより設立された大学である。多賀キリストの教会の付属教育機関として設置されていた夜学校や幼稚園を前身に、シオンカレッジを開校。その後、茨城キリスト教学園と名称を変更、1967年大学文学部を設置し、単科大学としてスタートした。1995年に大学院文学研究科、2000年に生活科学部を、2004年に看護学部を、2011年には経営学部、大学院生活科学研究科及び看護学研究科を開設し、現在は4学部7学科と3研究科をもつ総合大学となっている。
所在地の大みかキャンパス(茨城県日立市大みか町) は約13haの広大な面積を誇り、幼・中・高・大・院の校舎が立ち並ぶ。以前は日立製作所所有のゴルフ場「大みか倶楽部」の敷地であり、キャンパス各所には、大きな松の木や芝生が広がり、一部にはホールであった穴を発見できるなど、ゴルフ場であった面影を見ることができる。現在も、隣接して大みか倶楽部は営業しているが、戦前18ホールあったコースは6ホールに減少している。(ホームページ抜粋)
経営学部の学生およそ100人。今回の講義の主旨は、私が茨城県の工場に赴任してから、現在まで時系列的に会社の沿革に沿って、社会の出来事、国際的な出来事、円ドルの推移そして家族の出来事を年表にし、その時、その時、どのように考え、悩み、決断し、会社の方向性を決め、実施していったかを話すことにした。実施する前に考えたメリット・デメリットと実施後どのようになったか、今後どのように考え会社経営を進めていくか。1時間の出講であるが、茨城県経営者協会の事務局が要約し、9月号に掲載した「『意・行・習・人』が運命を作る」と題した内容は次の茨城キリスト教大学寄附講座(2)に記す。
皆さん入社おめでとうございます。
私は社長の高橋です。皆さんの入社を、全社員を代表して心からお祝いいたします。
皆さんは当社に入社することによって、社会に出る第一歩を踏み出しました。運命というのは、出合い、すなわち「縁」によってきまります。縁が織りなす結果として運命が決まります。こうして皆さんが入社することによって、我社と皆さんの縁が始まったわけですから、この縁が皆さんにとって良い出会いであることを願っています。
今、世界を取り巻く政治・経済は、先進国であるG8からロシアを外しG7で制裁を行うとしていますが、世界経済を不安定化要因として危惧されています。アメリカはシェールガス革命でエネルギーコストを大幅に下げることに成功し、経済は堅調であるといわれています。中国経済は景気減速しているものの昨年から底を打って緩やかな回復をしていますが、金融問題で不安定な状態になっています。一方日本経済は東日本大震災の復興が本格し、建設機械の需要が上向いてきました。また4月1日からの消費税増税とジーゼルエンジンの排気ガス規制による建設機械の値上で、昨年から買い込み需要で上向きましたが、2014年度はこの反動が心配されています。日本は円安株高政策で、一部の輸出大手企業を中心に明るさが戻ってきていますが、まだ実体経済は予断を許しません。
我社は日本経済に大きな打撃を与えた「バブル経済の崩壊」を乗り越え、「ピンチの後にチャンスあり」の格言通り、中国市場の成長が始まったチャンスを捉え、他社に先駆けて積極的な経営を行い、第二の創業といわれる躍進を果たしました。我社は常にピンチを乗り越え、チャンスに変えて、成長してきました。今後も我社の理念である「挑戦と創造」で、進んでいく企業であり続けたいと思っています。
仕事は人・物・金で動いています。仕事をしていて、人・物・金のすべてが、揃っていることはありません。自分のまわりは不足している条件だらけということは多い。それでも、小さな第一歩を踏み出すことです。現在が出発点。道のりは遠いが、歩き始めればいつかは着きます。皆さんは無限の可能性を持っています。しかし最初は仕事に慣れず、いろいろ苦労があるでしょう。まずは先輩達の中でどん欲に仕事を覚えていって欲しいと思います。
最後に、希望に満ちた今の気持ちをいつまでも忘れずにいてください。新鮮な心をもってしっかりと将来を見据えて、たゆみなく前進を続けてください。
今、ここにいる皆さんが、我々と一緒に将来の協立製作所を築いてくれることを心より願い、本日の入社式の挨拶とさせていただきます。
1週間に1回ヒアルロン酸を直接右膝に注射した。6~7回注射し痛みがなくなってから、プールで歩くリハビリを行った。同時に膝周りの筋肉を強化する練習を行い、 9月からジョギングの練習を始めた。ホノルルに出発する1ヶ月前から1週間に1回のペースで痛み止めのステロイドを4回注射した。ホノルルマラソンでは前日両膝のテーピングを行い、万全を準備を行った。詳細はブログの「マラソンへの道」で述べたが、右膝内側の痛みは出なかった。しかしダイヤモンドヘッドを上り、緩やかな下り道で失敗した。体調がいいので、緩やかな下り坂で少しストライドが大きくなったのが原因で、両太ももの内側の筋を伸ばしてしまい、20㎞付近で走れなくなった。 あの痛みは過去にも体験したことのない痛みだった。6時間37分でゴールしたときの達成感に満ち溢れた気持ちは今も忘れない。
61歳のホノルルマラソンは、両太ももの内側の筋を痛めないため、普段からストレッチを行い克服したが、27~28㎞付近で右膝外側の痛みが出て、30㎞の壁を越えられずに歩いてしまった。62歳の東京マラソンでは浅草雷門の折り返しから日本橋付近で、右膝外側の感覚がなくなり、走ることが出来なくなった。やはり30㎞の壁は越えることは出来なかった。それでも約22分近くタイムを短縮し、6時間14分59秒でゴールした。
東京マラソンでは36,000人のランナー、新宿都庁をスタートし、飯田橋、日比谷公園、増上寺、品川駅を折り返して、銀座4丁目の交差点を浅草に向かい、スカイツリー眺めながら、雷門を折り返し、日本橋、銀座、歌舞伎座を通り、築地からラストに4つの橋を渡り、東京ビックサイトでゴールした。石原東京都知事は8時20分スタートの号砲を鳴らし6時間15分1秒(プライベートタイム)後、ゴールに知事が立っていて完走したランナーとハイタッチをしている姿が印象的だった。私もハイタッチしたのは自然の流れだった。
あの感動をもう一度味わいたい。しかし右膝に続き、右ふくらはぎの肉離れの故障を体験して、大げさに言えば、仕事(飲み会も含)・マラソン・ゴルフを続けるのは、心技体が充実していないと続けることは難しい。マラソンは63歳で断念した。今度はシングルプレヤーに挑戦したいと思っている。もちろんジョギング程度は気持ちの良いときにやっていく。これで5年に渡って続けた「マラソンへの道」のブログも終了する。
現役を引退したら、マラソンに再挑戦するかもしれない。