茨城県経営協会新年号寄稿

半年以上遅れてしまったが、茨城県経営者協会の新年号の寄稿を掲載する。

建設機械の代表的な機種である油圧ショベルは世界需要の半分を中国が占める。昨年前半、4年に渡る不況に底打ち感が出てきた。8月頃から対前年同月比で増加に転じ、11月に入っても改善が続いている。今回の長い不況は2008年のリーマンショック後に60兆円の財政支出を実施し、世界経済を支えた中国が、そのリバウンドで需要の減少、過剰在庫、腐敗撲滅運動による工事の未着工等々が長い不況の要因と考えられる。特に地方政府の資金不足が影響したと云われている。昨年、新規国債の発行が、地方政府の仮需の借り換えで可能になり、工事再開の需要条件が整ってきたことが回復の要因としてあるようだ。しかし本格的な回復を予想するには45月頃の需要状況の様子を見て判断する必要がある。

19891222日の夜、初めて上海の虹橋空港を降り立った。空港内には機関銃を持った人民解放軍の兵士がパトロールしていた。半年前に起きた天安門事件の影響で警戒しているとすぐに分かった。出口に向かって行くと、うす暗い中で目だけが光っている大勢の人達がこちらに視線を向けていた。異様な光景だった。知人二人の顔が見え、安堵したのを覚えている。上海で会社を作って、人を集め、日本語教育を行った後、協立製作所で技能実習を行い、上海に戻して部品を製造し、日本に輸出する。当時の人手不足の解消と海外進出の目的のため、自分の目で見て、肌で感じて、実施の可能性をみたいと思った。

1971年創業者の父と会社の将来を話し合った。当時、東京品川の小さな町工場だった協立製作所は10人足らずの従業員で、1階が工場、2階が住まいで住込みの従業員も数人いた。私は地方に工場を作れば、自分が行くと話した。品川の工場は常に人手不足で、納期を間に合わせるため、両親は従業員が帰ってからも仕事をしていた。これらを解消するため、地方の工場であれば、人手不足を解消できるのではないかと提案した。入社後いかに考えが甘かったかを思い知らされ、後に人手不足解消のために上海進出へと繋がって行くことになるとは、この時思いもよらなかった。

茨城工場に赴任した時は40坪の工場に4名で始まった。それから15年の間に3回の増築で工場は320坪に拡大し、社員は50名を超えていた。80年のバブル時代、人手不足は恒常的に起こっていた。東京でスポーツ新聞に社員募集を出したところ、中国人1名が応募し入社した。この中国人から友達を紹介してもらい、茨城工場に2名の中国人が来ることになった。バブル期後半には中国人や他の外国人だけで3040名在籍するようになり一時的に人手不足は解消した。同時に発生していたのが、工場スペースの不足だった。土地の用途変更があり、工場の増築は出来ず、深刻な問題へと発展していった。移転できる適当な場所が見つからなかったが、およそ3年で開発行為と建築確認の許可をもらうことが出来た。新工場は経営の決定から4年目で完成した。また同時に活動を開始していたのが、中国に進出し、人手不足解消と工場面積の拡大を行うことである。会社設立の活動を始めてから1年で認可を受け、貸工場の契約も行い準備ができた。中国の会社には最初に茨城にきた中国人2名が設立に参加した。しかしその後さまざまな困難が待ち受けていた。

続きは次の機会で報告したい。

 

字数が限られていたので、続きは2018年の新年号に掲載予定。

茨城産業人クラブ経済講演会inつくば2017

茨城産業人クラブでは530日、茨城県つくば市で「茨城産業人クラブ経済講演会inつくば」を開催した。つくばでの講演会開催は昨年に続き2回目。科学技術が集積し、ベンチャー企業の創出も相次ぐつくばの地で、事業を下支えするつくば研究支援センターの斎田社長と、コマツ茨城工場の鈴木工場長が国内でも最先端のIoTを推進する取り組みについての講演が行われた。(日刊工業新聞社記事による。)

 

私の会長挨拶は以下の通り。

「茨城産業人クラブ会長を仰せつかっている高橋でございます。

日頃より、茨城産業人クラブに対し、多大なるご協力を賜り、また このように多くの方々にお集まりいただき、厚く御礼申し上げます。開会にあたり、主催者を代表し一言ご挨拶をさせていただきます。

 

茨城産業人クラブは昨年に続き二度目の「つくば市」での経済講演会となります。つくば市は皆様ご存じのように、国の研究機関等が多数立地する国内有数の知的集積地であり、「サイバーダイン」を始めとする多くのベンチャーが起業する場所としても注目を集めています。

また、つくば市は「国際戦略総合特区」の指定を受けるなど、研究機関の研究成果を、今まで以上に新事業・新製品に結びつけようとする動きも活発化してきております。 我々、県内中小企業としましても、つくば市に集積する科学技術をいかに活用するかが今後はより一層重要になってくるのではないでしょうか。

 

さて、日本経済ですが、内閣府が18日に発表した2017年1―3月期のGDP(実質国内総生産)は大方の民間予測を上回り、年率換算2・2%のプラスとなり、11年ぶりの5四半期(ご しはんき)連続成長となりました。緩やかな景気回復が続いているという政府の景気判断を裏付ける結果となった訳ですが、経済成長を実感している経営者は少ないのではないでしょうか。

 

一方、労働生産人口の減少や景況感の改善、建設機械の急回復やスマートフォン関連などの生産の好調さの中、人手不足が大きな問題になっています。中小企業の人手不足感が新年度になっても収まっていません。日本政策金融公庫総合研究所が製造業を対象に実施した調査によりますと先月の従業員判断指数、つまり不足の割合から過剰の割合を引いた値はプラス19.4と前の月から0.1ポイント上昇しました。これは1995年の調査開始以来最高を更新しているとのことです。直近の県内有効求人倍率は1.4倍になるなど小規模企業では人手不足で事業を縮小せざるを得ないところも出ていると聞いています。官民挙げて人手不足問題を解決する工夫が必要ではないでしょうか。

 

海外に目を向けますと北朝鮮問題による東アジアの緊張の高まりや、米トランプ大統領の疑惑など、多分に外的要因に左右されるところが大きい昨今の景気動向です。ただ、こうした難しい状況にあっても、新しい技術や製品、サービスを創出し、人々の暮らしを豊かにしていくという企業の本分は変わりません。それぞれの企業が事業を通じて社会に役立つことで、社会から信頼される存在になり、それが継続的な成長に結びついていくのだと思います。

 

本日の経済講演ではつくば研究支援センターの斎田陽介社長に「つくば発ベンチャーの最新トレンドとつくば研究支援センターの役割 」について 、お話しいただき、小松製作所の執行役員生産本部茨城工場長の鈴木 康夫様には「コマツ流IoT活用」と題しご講演いただきます。

 

我々 製造業経営者の抱える多様な経営課題に対し、多くのヒントをいただけるのではないかと期待しております。」

茨城産業人クラブ50周年式典

昨年(2014)、11月4日水戸京成ホテルにおいて、茨城産業人クラブ50周年の記念式典がおこなわれ、長年の功績に対して30社を超える企業・団体に感謝状を贈呈した。

 

私の会長挨拶は以下に要約。

 

「先週、日銀が追加緩和を発表し、株価は大幅に上昇し、為替相場も欧米では114円まで、円安が進みました。日銀総裁は「円安は日本経済全体ではマイナスよりもプラス」と述べる一方で、「製造業、特に輸出企業にはプラスになるが、輸入企業や非製造業、中小企業にはマイナスの影響が直接的に及ぶ」との認識を示されました。我々中小企業にとっては非常に難しい対応を迫られると思いますが、今後の成長戦略を注視したいと思います。

 

さて、茨城産業人クラブは、2014年4月、設立50周年を迎えることが出来ました。これも偏に会員各社の長年にわたるご支援の賜物であるとともに、激しい時代の変遷の中で礎を築いてこられた先輩達の努力の成果であると、心より御礼申し上げます。

 

1964年(昭和39年)産業人クラブは、政治、経済、技術などの情報を交換し、経営者の資質向上、事業の拡充を図り、わが国産業の発展に寄与することを目的に、工業人クラブとして、関東地区の産業人111人で設立されました。正確な産業情報を素早くキャッチし、それぞれの企業経営に役立てること。さらには産業界に起こるさまざまな問題の研究や、解決を図りながら「日本の将来は工業立国である」という共通の目標のために手を組んで進もうと組織され、当地域では常磐地区の産業界の交流、発展を図るために「常磐工業人クラブ」として会員26名、特別会員名で スタートしました。初代会長は、日立市の日立機械工業社長の北山直太郎氏が就任されました。その後、6代目に平沼産業の平沼社長、7代目にコロナ電気の柳生社長を経て、私が8代目の会長を務めることとなりました。

 

現在、茨城産業人クラブでは、幾度かの名称変更を経て、会員160名を擁し、県内産業の活性化を目的に産・学・官・金交流活動などをベースに諸事業を実施し、会員企業の長期・安定的な発展基盤の構築を目指しています。

 

本日は永年会員として産業人クラブを支えてくださった企業の方々に感謝もうしあげ、記念講演では日野自動車・市橋社長様にご登壇いただき、今後の目指す方向と取組みになどについてご講演いただきます。講演会後の懇親交流会には橋本知事・県幹部の方々も出席されますので、多くの皆様にご参加をお願い致します。

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シングルへの道

2014年は月末にハンデキャップになってから、月は成績が悪く90を切れなくなってしまった。シングルになった達成感が強かったためか、なんとなく次の目標が定まっていないためか、同じ気持ちでプレーしているつもりでも、スコアがまとまらない。どこかのホールで大たたきしてしまう。忙しくなって練習が出来なくなったのも調子を落とした一因かも知れない。

同年月の連休中に毎日続けて練習したところ、少しずつ感覚が戻ってきた。月のコンペで84を出し復調の兆しが出てきた。夏休みも練習を行い、コースにも行きプレーしたところ、月末のころに調子が上向いてきた。月に行われた大洗ゴルフ倶楽部のシニア選手権で、初日アウト45イン4287でまわり、二日目アウト43イン41の  84、トータル171でホールアウトした。ハンデキャップラウンドで18、ネット153オーバーで優勝した。開場記念杯は1025日土曜日に出場し、FT6188ヤード、アウト40・イン3979ホールアウトし、アンダーで優勝した。2014年は通算回優勝し、最高のゴルフイヤーだった。

私が2014年最高のプレーが出来たのは10日に開催された理事長杯である。予選を通過した32名が翌週マッチプレーで戦っていく。私は午前の回戦は大変調子が良く、特にドライバーが近年になく調子がよかった。距離も十分でフェアーウエイのキープ率も高かったので、16番で決着がついた。軽食を取り、回戦に臨んだ。ドライバーとパティングの調子も持続し、アップで勝った。回戦の相手はハンデのHさん強敵だ。前半は相手の調子が悪く、私は調子が持続していた。ホールでアップし勝てるかも知れないと、後半に望んだが、10番から12番まで連続して負けてしまい、アップまで後退。イーブンのまま18番ホールにもつれ込んだが、一歩及ばず負けた。でも貴重な体験が出来た。

明けて2015月・月も寒さに耐えて出来るだけコースでプレーしたが、90前後でしかまとめられない。寒さが原因とはわかっていても65歳の年齢を考えると気持ちがくじけそうになる。しかし気候が良くなった4月頃から徐々に調子が上向き、気持ちも前向きになった。その結果月の大洗ゴルフ倶楽部の「茨城新聞杯」RT6687ヤードではアウト39イン4483、ネット74で準優勝、続いて「茨城県知事杯」ではBT7190ヤヤード(コースレート74.4)をアウト43イン4285、ネット76で準優勝した。65歳過ぎても進化し続けることが実感できたヵ月だった。ハンデ目指して、頑張るゾー。


茨城キリスト教大学寄附講座(2)

当社は1958年に設立、今年で56年目を迎えました。私で2代目です。大学3年の時に、先代社長の父から"後を継ぐか"と問われ、悩みましたが入社する決意をしました。「"挑戦と創造"でお客様のご要望に応える」を経営理念として、日々業務に取り組んでいます。

事業所は茨城県の筑西市に所在しており、主に建設機械に用いられる"スプール"や"バルブ"など、油圧技術を用いた製品を製造しています。

世界における建設機械の需要としては、最近では中国経済の減速が報道されておりますが、それでも世界全体で50%の比率を中国が占めています。

私共も上海に工場を設け、現在のところ30名の社員が従事しております。上海への進出は、手狭になった茨城の工場を拡げるため、近隣の用地を確保したかったのですが、行政から許可が下りなかったことがきっかけです。国内でも土地を探しましたが、適した用地が見つかりませんでした。当時、私は40歳前後でした。大学を卒業して20年近くに亘り、一生懸命仕事に取り組み、当然税金を納めていましたが、このような困難な時こそ行政が手助けすべきではないのか・・・と思い立ちまして、19891222日に初めて上海を訪問し、1991年に進出しました。思い返せば、上海へ進出して20年以上が経ちます。

「意・行・習・人は運命を作る」は私が勝手につくった造語ですが、私の座右の銘としています。意識が変われば行動が、行動が変われば習慣が、習慣が変われば人生が変わる、との意味で、同趣旨の格言は他にもありますよね。

また、皆さん"和顔布施"という言葉を知っていますか?仏教の教えで"無財七施"の一つです。これは私が30代の頃、人材育成など色々な悩みを抱えていたとき、私はいつも険しい顔をしていました。そんな時"和やかな表情にはお布施をする程の価値がある"とこの言葉に教えられ、以来ずっと実践してきました。また心の持ちかたにおいても、お(怒るな)・い(威張るな)・あ(焦るな)・く(腐るな)・ま(負けるな)、の頭文字をとって"おいあくまの精神"を心がけなさい、と先輩からアドバイスをいただき、日頃より心がけています。

これから社会にでて、色々なご経験をされるかと思いますが、本日のお話が少しでも皆さんの、お役に立てば幸いです。今後の益々のご活躍を祈念致します。


茨城キリスト教大学寄附講座(1)

716() 茨城県経営者協会からの要請で、茨城キリスト教大学の寄附講座の講師として講義を行った。茨城県経営者協会は10年ほど前から大学側の要請と企業の社会貢献の一環として、現役経営者が学生に講義を行うようになり、現在、県内三つの大学で寄附講座を開催している。今回の講座は既に決まっていた講師が、人事異動により寄附講座の出講も日程も調整できないとの事、ピンチピッターとして事務局から要請で、引き受けることにした。今回で3回目の出講である。

茨城キリスト教大学は、1949茨城県日立市のクリスチャンとチャーチ・オブ・クライスト(キリストの教会)のアメリカ人キリスト教宣教師たちにより設立された大学である。多賀キリストの教会の付属教育機関として設置されていた夜学校や幼稚園を前身に、シオンカレッジを開校。その後、茨城キリスト教学園と名称を変更、1967年大学文学部を設置し、単科大学としてスタートした。1995年に大学院文学研究科、2000年に生活科学部を、2004年に看護学部を、2011年には経営学部、大学院生活科学研究科及び看護学研究科を開設し、現在は4学部7学科と3研究科をもつ総合大学となっている。

所在地の大みかキャンパス(茨城県日立市大みか町) は約13haの広大な面積を誇り、幼・中・高・大・院の校舎が立ち並ぶ。以前は日立製作所所有のゴルフ場「大みか倶楽部」の敷地であり、キャンパス各所には、大きな松の木や芝生が広がり、一部にはホールであった穴を発見できるなど、ゴルフ場であった面影を見ることができる。現在も、隣接して大みか倶楽部は営業しているが、戦前18ホールあったコースは6ホールに減少している。(ホームページ抜粋)

経営学部の学生およそ100人。今回の講義の主旨は、私が茨城県の工場に赴任してから、現在まで時系列的に会社の沿革に沿って、社会の出来事、国際的な出来事、円ドルの推移そして家族の出来事を年表にし、その時、その時、どのように考え、悩み、決断し、会社の方向性を決め、実施していったかを話すことにした。実施する前に考えたメリット・デメリットと実施後どのようになったか、今後どのように考え会社経営を進めていくか。1時間の出講であるが、茨城県経営者協会の事務局が要約し、9月号に掲載した「『意・行・習・人』が運命を作る」と題した内容は次の茨城キリスト教大学寄附講座(2)に記す。

平成26年度茨城産業人クラブ総会

()水戸市三の丸ホテルにおいて「平成26年度・第51回茨城産業人クラブ定時総会」が開かれた。総会は順調に進み、1~号議案まで可決承認された。

 

私は会長に就任して二期目を迎え、役員の選任を求める議案では副会長を名から名、新たに理事名を迎えて、更なる組織の充実を図ることが出来た。

 

以下に、総会の開会挨拶を記す。

 

「会長を仰せつかっている高橋でございます。

日頃は産業人クラブの活動にご支援・ご協力いただきまして、ありがとうございます。またご多用の中、平成26年度定時総会にお集まりいただき、重ねてお礼申し上げます。

 

定時総会の開会挨拶は、産業人クラブ理事長であり、日刊工業新聞社の東京支社長がご挨拶申し上げるところですが、社用のため出席出来ませんので、私がご挨拶させて頂きます。

 

我が国の産業・経済活動は、アベノミクスによる景気刺激策により、税収の増加、有効求人倍率の上昇、都市部の一部では人手不足が起きるなど期待が高まる一方、 4月からの消費税増税、原油・資源高、さらに電力料金の高止まりなど中小企業を取り巻く環境は依然厳しい状況にあります。国内の少子高齢化を背景に、生産拠点は国境を越えグローバル化が本格化しています。大手企業の海外進出は加速し、調達も国境がなくなりつつあります。そして国内製造業の空洞化が懸念される中、日本経済は構造変化の時代に突入しました。

 

ほとんどの人が「景気が回復した」「景気が良くなった」と思うには4~5%の経済成長が必要と云われています。現在の1%前後の経済成長では景気の回復を実感として感じるのは、ごく一部で、多くの業種では、また多くの企業では景気動向にバラツキが生じます。平均値で議論していては経営の方向を間違う恐れがあると思います。

 

中小企業の経営上の問題として、国内需要の低迷・減少、国内市場での国内企業同士の競争激化が上位を占めています。その打開策として販売先の新規開拓、設備投資による生産性向上、新規分野への進出など前向きな改善策を掲げています。私共の会社もまさに同様でございます。

 

我々経営者は時代の環境に適応しながら、経営の舵取りを行わなければなりません。内向き・下向き・後ろ向きからは希望は生まれません。お互い前向きに一緒に頑張りましょう。開会の挨拶とさせて頂きます。

本日は1日宜しくお願いします。」

 

総会終了後、「ベトナムにおける日中韓の比較~ハノイ駐在経験から感じたこと~」と題して、ジェトロ茨城の西川所長の講演が行われた。その後の懇親会では橋本知事、商工労働部長をはじめ県幹部の参加を得て、開会の挨拶を日刊工業新聞社の井水社長が行い、橋本知事の挨拶、阿部理事の乾杯で懇親会が始まった。


シングルへの道(5)


 シングルプレイヤーに仲間入りしたゾー。目標達成。

201416日大洗ゴルフ倶楽部の倉田杯でINコース43、OUTコース4083で終了し、ネット73オーバーで優勝した。当日は寒くコンデションの悪い日だった。前半は調子が悪く、ホール毎に少しずつスイングを変えたり、パティングの時にボールを目で追わないように打ったり、自分でチェックポイントを決めて、我慢のゴルフをした結果、大きく崩れないで43でまとめることが出来た。後半は食事を少しにしたことが幸いしたのか、調子が良いという感覚はないが、40で上がることが出来た。パーオンは少なかったが、アプローチショットがうまくいってワンパットでパーを取ったホールがいくつかあった。

 

ホールアウトしたときの成績はトップであったが、優勝はアンダー位と思っていたので、まさか優勝するとは思わなかった。そして26日海外出張先で大洗ゴルフ倶楽部からハンデキャップ改定の通知が届いたと連絡を受けた。素直に嬉しかった。

 

ゴルファーの夢であるシングルプレヤーになりたいと目標を掲げてから約年、 59歳の時である。最初は15から始まり、10まではおよそ1年超で行くことが出来たが、その後が大変だった。年間でアンダーを回公式カードを提出することが、シングルの条件だった。

 

年前の夏のこと、たまたま娘と一緒に近くの練習場でドライバーの練習をしていた時、娘がビデオを持っていたので、撮影してもらった。再生したとき、そこに映っているスイングは、私が描いていたスイングとは、あまりにもかけ離れていたのでショックを受けた。やはり自己流の練習では無理だと思い、その場で練習場のゴルフスクールに入り、土日の週回練習することにした。    

 

2009年以前のデータは記録していないが、およそ年間平均スコアは92位だと思う。2009年から記録をとり始めて、最初の年は88.3201089.6201188.5201286.6201386.4としり上がりに良くなってきた。

 

次の目標はを目指そう。いや思い切ってを目指してもいいかな。

やはり目標は明確な方がいい。よし6を目指そう。

2014年度 入社式挨拶

皆さん入社おめでとうございます。

私は社長の高橋です。皆さんの入社を、全社員を代表して心からお祝いいたします。

 

皆さんは当社に入社することによって、社会に出る第一歩を踏み出しました。運命というのは、出合い、すなわち「縁」によってきまります。縁が織りなす結果として運命が決まります。こうして皆さんが入社することによって、我社と皆さんの縁が始まったわけですから、この縁が皆さんにとって良い出会いであることを願っています。

 

今、世界を取り巻く政治・経済は、先進国であるG8からロシアを外しG7で制裁を行うとしていますが、世界経済を不安定化要因として危惧されています。アメリカはシェールガス革命でエネルギーコストを大幅に下げることに成功し、経済は堅調であるといわれています。中国経済は景気減速しているものの昨年から底を打って緩やかな回復をしていますが、金融問題で不安定な状態になっています。一方日本経済は東日本大震災の復興が本格し、建設機械の需要が上向いてきました。また4月1日からの消費税増税とジーゼルエンジンの排気ガス規制による建設機械の値上で、昨年から買い込み需要で上向きましたが、2014年度はこの反動が心配されています。日本は円安株高政策で、一部の輸出大手企業を中心に明るさが戻ってきていますが、まだ実体経済は予断を許しません。

 

我社は日本経済に大きな打撃を与えた「バブル経済の崩壊」を乗り越え、「ピンチの後にチャンスあり」の格言通り、中国市場の成長が始まったチャンスを捉え、他社に先駆けて積極的な経営を行い、第二の創業といわれる躍進を果たしました。我社は常にピンチを乗り越え、チャンスに変えて、成長してきました。今後も我社の理念である「挑戦と創造」で、進んでいく企業であり続けたいと思っています。

仕事は人・物・金で動いています。仕事をしていて、人・物・金のすべてが、揃っていることはありません。自分のまわりは不足している条件だらけということは多い。それでも、小さな第一歩を踏み出すことです。現在が出発点。道のりは遠いが、歩き始めればいつかは着きます。皆さんは無限の可能性を持っています。しかし最初は仕事に慣れず、いろいろ苦労があるでしょう。まずは先輩達の中でどん欲に仕事を覚えていって欲しいと思います。

 

最後に、希望に満ちた今の気持ちをいつまでも忘れずにいてください。新鮮な心をもってしっかりと将来を見据えて、たゆみなく前進を続けてください。

今、ここにいる皆さんが、我々と一緒に将来の協立製作所を築いてくれることを心より願い、本日の入社式の挨拶とさせていただきます。

 

 

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茨城県経営者協会年頭挨拶

 茨城県経営者協会発行の月間冊子「茨城経協」の念頭挨拶の執筆を依頼された。「茨城経協」の表紙とその内容を以下に示します。

 

新年明けましておめでとうございます。

昨年は年初、超円高から金融緩和・財政出動そして成長戦略の期待感から、円安株高へと転換し、優位な製品を武器にグローバ化した大手企業を中心に業績の回復が鮮明になってきた。しかし我々中小企業にはその波及効果はなく、円安のマイナス部分が出ていた。今年は期待したい。

 

 今年12月、当社の海外子会社である上海協立に創業22年目で初めて総経理として社員を出向させた。中国社会では外国企業が出資した合弁・独資会社の総経理を中国人にするとナンバー2の人材を育てるどころか辞めさせてしまうことが多い。管理者層でも同じである。ナンバー2が実力をつけてくると自分の地位を脅かすと考える。いろいろな知識・技術を教え込んでいくと、自分を売込んで少しでも給与の高い会社に移り、転職を繰返していくことも要因の一つと思われる。

 

15年程前に中国人経営者と懇談会の機会を得た。自己紹介で私は油圧機器部品製造一筋に40年生産活動をしている会社であると話したところ、なぜそんなに長く同じ仕事をしているのかと中国人経営者から質問があった。私は加工技術を極めながら、改善を進め、現場の力を高めていくからだと答えたが、理解して貰えず、逆質問をした 

あなたは今の仕事をどのようにしようとしているのか。すると彼は企業価値が一番高い時に会社を売り、その資金で不動産業を始めると答えた。当時も今も中国の錬金術はただ同然の土地を特別開発区に指定し、市・地方政府は成功した経営者に共同で商業区・工業開発区の造成を行い、利用権を販売する。日本の製造業経営者とは価値観がまるで違うと痛感した。日本人と中国人「似て非なるもの」である。我々は今、文化の違いを乗越えることが問われている。

 

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