親会社の社長から「仕事を切る」と言われたが、最終工程の特に切削性を左右する刃付け研削はどこでも出来る工程ではなかった。資材担当者と相談すると「社長はあのように言っても出来ないと思う」と云っていたので、1~2年は大丈夫だろうと思った。しかし早急に新しいお客さんを見つけないと経営が行き詰って、従業員に迷惑をかけてしまうとの思いから営業活動をするようになった。
そんな時港区芝浦にある油圧機器メーカーの萱場工業(現KYB)から油圧機器部品の研削加工の依頼があった。早速油圧部品の試作を行った結果、高い評価を得た。そして長年培った研削技術が認められ、油圧機器の仕事は急速に増えていった。工具の研削加工の仕事は従来通り続け、特に納期で迷惑をかけないように細心の注意を払っていった。しかし徐々に発注量が減少し3年後、突然T社からの発注がゼロになった。昭和45~46年の頃である。ここから油圧機器専門製造会社としての第一歩が始まった。
当時、油圧機器は動力を伝達する方法として、脚光を浴び暁の産業ともてはやされた。庫吉は協立製作所にとって幸運だったと述べている。一時的に工具の受注がゼロになったが、その分研削盤の工数に余裕ができたので、油圧の仕事を増やした結果、すぐに売上は回復し前よりも業績は拡大していった。
業績は拡大していったが、最終工程である研削加工は前工程の遅れの影響を受けてしまう為、常に短納期のため徹夜・休日出勤・深夜残業は当たり前で、予定を立てることが出来なかった。その為か従業員の定着率は悪く、いつも人手不足状態が続いていた。
私が大学3年の時、後継問題を父庫吉と話しあった。私は地方に工場を作ってくれれば、自分が地方に赴任し跡を継ぐと話した。私は幼い時から父の仕事を観察していたので、東京では従業員は集まらず、工場の拡張余地がないとの理由で将来性がないと思っていた。そこで地方に工場を作り、前工程の機械加工工場を建設し、部品の一貫加工体制を作れば将来が開けると説得した。そして昭和45年、父庫吉の生まれ故郷近くの茨城県真壁郡協和町(現筑西市)に敷地300坪(660㎡)、建屋20坪(66㎡)の工場を建設することになった。
新工場に移転した昭和39年、高速度鋼の刃物が好調だったこともあり、順調に業績を伸ばし、従業員も10人を超えるようになった。しかし業容拡大と共に常に伴う問題は従業員の不足である。当時、中学卒業者は金の卵ともてはやされ、東京に集団就職する人達が大勢上京する上野駅の光景が数多くニュースで流れていた。小企業は常に従業員不足を補うため、経営者自らが深夜残業・徹夜・休日出勤を行い、文字通り身を粉にして働いていた。工具の研削作業は最終工程のため、支給品(前工程)の納期遅れを取り戻すには焼入れ後すぐに研削加工をしなければならなかった。納期は常に特急で自社の都合など関係なく、納期を間に合わせるため必死に働いた。なぜならこの時代は今日一生懸命働けば、明日の生活はもっと良くなる、1年後はさらに良くなる、と貧しくても希望に満ちた高度成長時代であった。
しかしある時、従業員が団結して残業を拒否するという事件が起きた。最終工程の二次下請け業を行う協立製作所が、お客様に残業が出来ないから納期に間に合わない等と言うことは、仕事を他の業者に回されてしまい結果として倒産してしまう。だからこそ従業員にはどんなに遅くても21時までの残業で終わらせ、残りの仕事は社長が自らで遅くまで、時には夫婦で作業していた。このような事情を話しても理解されてもらえず話は物別れに終わった。そこで庫吉は仕事の大半を知り合いの零細企業の人達に仕事を回して危機を乗り越えた。しばらくして従業員の代表から残業に協力するから元に戻してほしいと要請があり、この事件は短期間で解決した。
昭和42年頃、庫吉は親会社T社の懇親旅行会に参加した。懇親会は和気あいあいと進み酒宴の終わった後、二次会の席で同業者が親会社の社長と酒の勢いもあり口論(いじめられていた?)になった。親会社の社長ということもあり、誰も止めに入らなかったので、庫吉は義侠心を発揮し止めに入ったところ、止め方が生意気だと自分の方に矛先が向いたが、ようやく収まったかと思ったとき「協立の仕事は切ってやる」と捨て台詞を残して部屋を出たという。私は中学生の頃から夏休みや春休みに現場の仕事を手伝っていたので、この頃のことは事情を良く承知していた。
3.品質保証体制の構築では5つの重点施策を上げました。
(1)不良率の高いラインの集中改善を行う。
(2)バリ取りおよびエッジ形状の評価技術のレベルアップ。
(3)業界一の清浄度へ、洗浄・テスト・出荷のコンタミ管理レベル向上。
(4)客先クレームの半減では月3件以下。
(5)工程内不良率の半減では0.1%・受入不良件数の半減では8件以下。
4.管理レベルの向上では4つの重点施策を上げました。
(1)顧客別・製品別損益をリアルタイムで把握。
(2)固定番地管理の精度向上では適合率を個数比99.9%以上。
(3)仕掛在庫金額一ヶ月以下。
(4)指示納期達成率90%以上、月次納期達成率97%以上。
5.技術力の向上では3つの重点施策を上げました。
(1)顧客要求公差である寸法・真円度・円筒度・真直度・円芯度を現レベルの
半減する加工技術を確保する。
(2)技術ノウハウの標準化とデータ蓄積。
(3)自社設計バルブの開発。
6.人材育成では3つの重点施策を上げました。
(1)TPM活動を通じて部門リーダーの育成。
(2)QC教育の拡充と技能検定。
(3)技能競技大会上位入賞・受験の啓蒙。
7.安全環境では2つの重点施策を上げました。
(1)5S活動の継続。
(2)ISO14000の精神に則った継続的改善活動の推進。
以上の施策は債務超過を一年で終わらすためであることは云うまでもありません。
私は昨年の新年の挨拶で「全員が危機意識とコスト意識を持ち、日々の業務に取り組んで下さい。そして2009年を生き残り、体質改善が進んだ時に、真の中小企業から中堅企業に生まれ変わった最初の年であるといえる年にしたい」と話しました。
昨年は全ての部署で体質改善の活動を実行してきました。2010年は活動の結果を出すときです。そして「他社よりも優れた品質・コスト・納期で適格にお客様に対応し信頼性の高い会社」を作っていくことが、生き残ることの絶対条件であると思います。
以上で年頭の挨拶といたします。
新年明けましておめでとうございます。
昨年を振り返りますと、世界同時不況が深刻化した結果、我々の会社の売上高は、1月からの半年間は最盛期の20%しか確保できませんでした。お客様の在庫調整が終了した9月から50%に戻ってきましたが、予測より受注額が低く非常に厳しい経営を強いられた一年であったと思います。
さて、2010年の世界経済は中国の58兆円の内需拡大策やアメリカの70兆円のグリーンニューディールなど、世界各国の経済対策が効果を発揮し、10年の実質経済成長率の平均予測は3.4%と予想されます。5%成長が続いた金融危機前には戻れないものの、2年ぶりのプラス成長に復帰する公算が大きいと云われています。 10年の世界経済を引っ張っていくのは実質成長率9.5%に達する中国やインド・ インドネシア・ブラジルなど新興国になると思われます。EUのユーロ圏は住宅バブルの調整が重荷となり、実質成長率は1.1%で年の後半からの回復になると云われています。
このような世界経済の中で10年の日本経済は国内・国外の経済方策の効果で輸出や生産が好転し、景気の持ち直しを牽引していることを考え合わせると、10年度の実質経済成長率は1.1%で、09年度のマイナス2.8%より大幅に改善すると予測されます。しかし日本は政権交代後の混乱と少子高齢化・人口減少社会での成長戦略が描ききれず、また財政上の大きな制約があることから世界経済の回復過程では ユーロ圏の回復よりも遅い回復になると思われます。
このような世界経済と日本経済の中で我々協立製作所は、残念ながら今期一月決算では前半の赤字があまりに大きく後半の回復では補いきれないことから、二期連続の赤字となってしまいます。2010年度でなんとしても経常黒字を確保しなければならないと思っています。このような状況をかんがみ、2010年の方針は、『他社よりも優れた品質・コスト・納期で適格にお客様に対応し信頼性の高い会社』作りを目指すことから、7項目の方針を決定した。
1.売上高36億円と経常黒字5%を確保。
2.コスト競争力の強化では6つの重点施策を上げました。
(1)赤字部品の原価改善をなんとしても達成したい。
(2)生産技術。製造部は世界一の高能率加工へ挑戦。
(3)設備総合効率85%達成を出来る実力を一日でも早くつける。
(4)組立品の直行率向上ではポンプ95%以上、リリーフバルブ95%以上、
コントロールバルブ80%以上、他バルブ100%を達成させることです。
(5)間接業務の効率化と直間比率の見直しを図る。
(6)協力企業の技術指導強化と世界最適調達による原価改善。
ひやり・はっと品質賞では11名が表彰を受けた。
第1製造課スプールA班 高浜 和彰
φ28バー材のキズを2件発見し客先流出を防止した。
第1製造課スプールD班 菅谷 誠
21641-10233パイロットスプールの全長1mmが短いスプールを
発見し客先流出を防止した。
第1製造課サーマル班 武蔵谷 繁男
VZ03320-0167サブスプールの端面ボス取り加工時、硬さの違い
に気付き客先流出を防止した。(150本、硬化深さ0.5~0.8の
ところ0.3の深さだった)
第1製造課サーマル班 篠崎 一郎
メインスプール(CO111-55296,723-46-26220,723-46-23552)の打コ
ンを発見し客先流出を防止した。
第1製造課サーマル班 押尾 光代
メインスプールの(723-46-23270)の打コンを発見し客先流出を防止。
第1製造課スプール
A班 安藤 達也
プランジャー(21961-50218)の内径バリ残りを発見し客先流出
を防止した。
第1製造課スプール研磨A班 阿部 高章
KYB向けプランジャ(B0851-02051)のランド長さ公差外0.5mm
を発見し、客先流出を防止した。
第1製造課スプール研磨B班 小林 俊和
メインスプール(723-46-23130,3610-434)の打コンを発見し客先流
出を防止した。
第1製造課スプール研磨B班 山口 ますい
小スプール(1220-301,X4179155,8Y-3363他)キズ、黒皮残り、打コ
ン4件の不良を発見し客先流出を防止した。
第3製造課小物研磨班 中澤 とき子
シート研磨に前加工の外注で付けたシート部のキズを発見し客
先クレームを防止した。
第3製造課小物研磨班 勝沼 加代子
つくば野口でブランク加工している347800-4000シートの全
長不良を目視で発見して客先クレームを防止した。
同じく21111-43112の全長が短いワークを目視で発見した。
皆さんありがとうございます。皆で良い会社を作っていきましょう。
多難であった2009年の「仕事納め」を無事に迎えることが出来た。我々の仕事納めの行事は午後4時から5時の一時間。社長の挨拶に始まって、ジュースで乾杯した。
『仕事納め風景』
平成21年度の表彰式は①品質優秀賞 2課1班 ②生産性向上賞 1名 ③改善活動奨励賞 2名 ④ひやり・はっと品質賞 11名の計16名に感謝状と金一封を添えて労をねぎらった。
品質優秀賞は第1製造課が受賞した。受賞内容は社内不良率が研磨部門0.05で 上期目標達成。機械加工部門は0.15% で上期目標達成したことによる。続いて、第3製造課FMS班が選ばれた。FMS班の品質目標の工程内不良率月平均0.14%で上期目標を達成した。
『品質優秀賞 第一製造課 海老原課長』
『品質優秀賞 第3製造課FMS班 遠藤克彦殿』
生産性向上賞は第3製造課UラインB班が受賞した。受賞内容はポペットラインにて スパロール加工機を導入し、ライン人員2名を1名体制とした。また、今まで使用していたスパロール加工機を、カートリッジのバリ取り及びスパロール加工に転用して生産性を向上を達成した。
『生産性向上賞 第3製造課UラインB班 上野班長殿』
改善活動奨励賞は二つの班が受賞した。第3製造課小物研磨班は協力企業で加工していた球研磨機を社内に取り入れ購入費削減に寄与したこと。また、5S・TPM活動において活発な改善活動を行い現場内5Sの徹底を行った。生産管理課出荷係はK1工場南側の長材置場にて、豪雨時の跳ね返り水で長材を錆を発生させてしまう事があった。改善として、厚手のダンボールで裾を作る事により豪雨時の跳ね返り水を防ぎ、製品の錆を防止した。
『改善活動奨励賞 第3製造課小物研磨班 細谷班長殿』
『改善活動奨励賞 生産管理課出荷係 安田主任殿』
12月4日(金)午後1時半、顧客のKPM(カワサキ・プレシジョン・マシナリー)殿5Sファミリー会第四班5社11名が弊社茨城工場に集まり報告会を行った。
最初に私が会社代表者として挨拶し、会社概要を工場長が説明した。年間活動計画説明では、当社の実施状況を5S推進担当の佐々木工場長付が報告し、続いて(株)打江精機殿が実施状況を大坪製造部長が報告した。 次に改善事例発表が行われ、当社品質保証課皆川主任が 「品質関所体制の構築と強化」と題して発表を行った。品質講習会の横展開状況報告では(株)KPM殿品証部から説明があり、当社の品証部 と(株)打江精機品証部殿から報告をした。
工場見学は見学部署を6ヶ所に定め、説明は製造4課長が行った。当社では、近年教育をかねて製造課長がお客様に説明するようにしている。工場見学後、質疑応答が行われ、最後にグループ各社の5S活動経過報告を行い、次回報告会のスケジュールをKPM殿事務局が報告して午後4時30分に終了した。参加各社の皆様は茨城から兵庫・大阪・岐阜にそれぞれ帰られました。
当社は昨年KPM殿から5S優秀賞を頂いたが、今回の活動ではレベルアップした5S最優秀賞を獲得するため頑張ってきました。2010年は最優秀賞をとるゾ!!!
『5Sファミリー会 第四班』
11月24日(火)朝8時40分から午後3時15分まで、22チームによって5S・TPM改善発表会を行いました。前回の発表会での反省をもと分科会編成を6分科会から計画保全分科会を自主保全分科会に編入し、5分科会に再編した。また採点方法も一部変更し、採点方法は事務局が評価採点実施する事前評価項目を25点、診断者4名による評価採点する発表評価項目75点、合計で100点とした。
午後4時05分から表彰式の開式挨拶を初めとして、前回優秀賞チーム発表・推進副本部長から順位発表と講評を行った後、推進本部長による表彰式を行い、続いて所感を述べ4時55分に閉会した。以下に順位を示します。皆さんおめでとう、そしてありがとう。
最優秀賞 個別改善分科会 ブラックストーンチーム 上野義徳リーダー
準優秀賞 自主保全分科会 出荷係チーム 篠崎淳リーダー
準優秀賞 個別改善分科会 ギニュー特戦隊チーム 渡辺達郎リーダー
努力賞 品質保全分科会 TEAM-Uチーム 小林直之リーダー
努力賞 個別改善分科会 押忍!!金太郎総本部チーム 稲見俊之リーダー
努力賞 個別改善分科会 第一研磨B班チーム 小林大道リーダー
最優秀分科会長賞 個別改善分科会 中川課長
準優秀分科会長賞 5S分科会 海老原課長
努力賞 『TEAM-U』 『押忍!!金太郎総本部』 『第一研磨B班』チーム
最優秀賞 『出荷係』 『ギニュー特戦隊』チーム
最優秀賞 『ブラックストーンチーム』 上野チームリーダー
入社後1年が過ぎた頃、父から超高圧の給油ポンプを国産化する話が来たが、どうしようかと相談がありました。原油から作られたナフサを3,000kg/c㎡の超高圧に圧縮してエチレンを作る。そのときに圧縮するピストンに潤滑油を送る給油ポンプの開発です。圧縮する圧力と同じ3,000kg/c㎡の圧力で潤滑油を送るポンプ(HPポンプ)です。日立製作所がエチレンを作る石油コンビナートの受注を拡大し、又コストダウンの一貫としてスイスから購入していたHPポンプを国産化する依頼でした。日立製作所はスイスのメーカーと技術提携したので、図面は全て一角法で言語はドイツ語でした。当時、協立製作所は日立製作所の口座を持っていなかったため、懇意にしていた堀川実業㈱殿と共同開発で行うことにしました。
私の仕事はドイツ語の図面を日本語に翻訳し、社内の作業者や協力会社と打合せを行い、指導・監督することです。ドイツ語の翻訳は悪戦苦闘しました。学生時代にもっと勉強すればよかったと悔やんでも後の祭りです。部品が出来上がり、品質確認を行った後、組み立てし、性能検査は日立製作所で行いました。実力があったというべきか運が良かったと云うべきか分かりませんが、1回の試作でうまくいきました。完成までの期間は約10ヶ月と記憶しています。
日立製作所から相見積で競合していた上場会社よりも早く試作品を完成させ、性能試験もうまく行ったので、協立製作所・堀川実業㈱連合に発注したいとの連絡を受けました。しかし発注は条件付きでした。いくら試作品がうまくいったからといって量産品を生産するには、油圧の技術者・品質管理者がいなければ、重要な超高圧給油ポンプを発注できないといってきました。
油圧ユニットの作業の順番は、タンク・ベース・パネルを溶接で一体にした製缶構造物を作ります。これを酸洗い機で鉄錆を除去した後、ベースに電動モーターと油圧ポンプの架台を溶接で固定し、ロータリージョイントで一体にしてセンターを合わせる作業を行います。次はパネルにバルブ類を取り付け、回路図面に従いパイプで配管していきます。口径の大きいパイプはパイプをカッターで切断し、ポンプやバルブの継ぎ手に溶接でつないでいきます。90度に曲げる場合はエルボーと呼ばれる継手の二箇所にパイプを溶接します。口径の小さいパイプは手動式ベンダーで90度や45度に曲げてパイプの先端に継手を装着します。このようなことの繰り返しで配管作業を進めていきます。次にモーターやバルブから出ている電気のコードを配線図に従って配線していきます。配管を分解しパイプの内部の錆を酸洗いで除去し、再度配管します。最後は全体を塗装します。
私は1年間で溶接以外、全ての作業を覚えていきました。作業の原理原則を覚えれば、後は手先の器用さで出来映えの優劣が決まってきます。現地での据付作業も頻繁に行くようになりました。私は早く仕事を覚えるために1年間は先輩社員・上司の言うことは全て受け入れました。急な残業・徹夜作業に嫌な顔は絶対しませんでした。そのような訳で、皆は私にいろいろな仕事を押し付けてきましたが、私は仕事を早く覚えるチャンスだと思い貪欲に取り組んでいきました。
2年目に入ると、専務から油圧ユニットの試験を命じられました。米国のビッカース(現イートン)と技術提携し、日本の油圧機器の先駆的なメーカーである東京計器の油圧ユニットをシリーズ化したトーッパックと云う商品名の試験を行うことでした。現場で組んだユニットに電源を繋ぎ、作動油をタンクに満たし、圧力制御弁の圧力を開放にしてスイッチを入れます。最初の5分位は慣らし運転で、その後圧力・流量・温度・騒音特性等を仕様書に基づき検査していきます。最後に配管や継手から油漏れがないか、目視検査を行い終了します。ユニットに配管の間違いなどがあると検査員である自分が手直ししていました(信じられないことですが)。同時期に私は油圧の勉強を通信教育で始めていましたので、試験で不具合になったポンプやバルブを分解し、構造も勉強していました。ピストンポンプの原理が理解出来ず、専務にお願いして不良品を1台頂戴して家に持ち帰り、何時間も本と見比べていました。