私がマラソンに出場したきっかけは、昨年3月から始めたダイエットです。私は身長170cmですが、昨年のお正月が終わった時、なんと79.5kgに増えていました。完全な肥満体でメタボになっていました。仕事が始まってから、食事を減らして2月には77kgになりましたが、一昨年の75kgに戻りません。
そんな時、銀行の研修会で医師による「食べない健康法」と云う講演を聞きました。その内容は「人間の病気はカロリーの取りすぎによるものが大半で、一日一食で十分である。一日三食というのは戦後の貧しいとき、三食食べないと必要なカロリーと栄養素を取り入れることが出来ない。カロリーを取りすぎると免疫力が低下し病気になりやすい。」と話されました。私は昭和25年生まれですから、物心ついたとき、お米は配給制で母親が栄養のある食事を工面して、朝と夜に生卵を食べさせてくれました。今は本当に飽食の時代ですネ。健康のためには一日三食は絶対必要と思っていましたので、お腹がすいていなくても食べていました。
続けて食事の取り方を教えていただきました。「朝しっかりと食事を取り、夜10時を過ぎたら控えめにと言われています。これは正しいことです。しかし、経営者の皆さんは夜の会合・懇親会などで付き合いも多く守ることが出来ない。私が長年研究した成果は、栄養素はりんごとにんじんジュースを1:2の割合にするとほぼ全て摂取することが出来る。そして生姜紅茶(生生姜の摩り下ろし)に黒砂糖を入れて飲んで下さい。生姜は体温を上げる作用がある。体温を上げると免疫力が上がる。黒砂糖は必ず入れる。朝糖分を取らないと脳が活性化しない。従って、朝と昼はミックスジュースと生姜紅茶と取り、昼お腹がすいて我慢できない場合は蕎麦を食べなさい。そして夜の食事はいっぱい取りなさい。同時に大事なことは筋力を付ける運動をしなさい。特にお尻と大腿部は筋肉の量が多くカロリーを消費する。つまり太りにくい体質にすることが肝要です。」とお話されました。バランスの良い食事と運動を行うことです。あたりまえの話ですが、お医者さんが健康と食事・運動のことを論理的に説明して下さいました。本も熟読して実行に移しました。石原先生の「食べない健康法」という本です。
4月19日 日曜日、6時に起床し、朝食をとり、6時20分に出発し土浦駅の駐車場に車を置き、徒歩で約10分会場の陸上競技場に7時30分に着いた。スタートは9時35分。受付を済ませ、記録用 ICチップをシューズの紐に縛り付けた。このチップはゴールのゲートを通過すると電波で確認し選手のタイムをパソコンに記録していく。エントリーは24,000人を超え、東京マラソンに次ぐ大きな大会に成長してきた。大会は5km・10マイル(16.09km)・フルマラソンに分かれて行われ、私は10マイルの部に出場しました。昨年3月からダイエットの為、スポーツクラブに入ったのがきっかけで、つい知人に進められて勢いでエントリーしました。
8時30分開会式が始まりました。 常総学園のブラスバンド・チアリーダーが演技を行い、大会役員の挨拶後、先導の白バイ隊が紹介され、オリンピックメダリストの有森裕子さんが紹介されました。 有森裕子さんはボランティアで視覚障害者の伴走者として10マイルのレースに出場するとのことでした。他にもボランティアの伴走者として140人の応募があり、本レースでは40人が伴走すると報告がありました。初めてマラソン大会に出場する私にとって、
ボランティアの伴走者が多いのに感心すると同時に、マラソンが盛んなことを認識しました。
スタートは個人の予想タイム毎に並びます。先頭は50分以内で、私は1時間30分の集団の最後につきました。スタートの合図はヘリコプターがスタートラインの真上に停止状態で飛び、花火の音で一斉に走り始めました。壮観ですよ。私が走り始めたのは5分位してからです。スタートして10分位で常磐線の陸橋の頂上に来たとき、前方・後方を見ると通路いっぱいに、人の長い列が帯をなしているかのようでした。私は自分のペースを守りながら順調に走って行きました。
ところが11km付近で右膝外側のじん帯に違和感を覚えてきました。少しペースを落とし、苦しくなった12~13kmの上り坂地点で、後ろから有森裕子さんが視覚障害者を伴走しながら、大きな声で「大きく腕を振って、あごを引いて」と何度も繰り返し、周りの人を励ましていきました。私も大きな声に励まされ大きく腕を振って坂を上って行きました。14kmを過ぎ、あと2km弱のところで右足外側のじん帯の痛みに耐え切れず、歩いてしまいました。その後、歩いて少し痛みが治まると走り始める状態を繰り返してゴールしました。目標だった感想は達成したので、満足満足。記録は後日完走証明書を郵送されるとのことですが、たぶん1時間45分位ではないかと思います。
初めての体験で、最初息切れを心配していましたが、足が痛くなるとは予想していませんでした。クラブでいつも1時間位走って一度も痛みを感じなかったからです。足の疲労を防ぐために出来るだけ軽いシューズを選んで走りましたが、失敗の原因でした。マシンで走っているとコンベアーがクッションになり、膝にくる衝撃が和らぎます。しかし一般道路のアスファルトは硬く予想以上に足に負担を負いました。やっぱり経験していみないとわかりませんネ。今度、出場する時はかかとの部分にクッションがあるシューズを履いて挑戦します。
続いて慶應義塾大学経済学部の池尾和夫氏からお話を聞きました。アメリカ発の金融危機の構造を分かり易く解説されていました。「今回の金融・経済危機の展開過程は、3つのステージに区分して捉えることが出来、第1ステージは2007年から3月から2008年3月までのサブプライム・ローン問題と呼ばれている時期です。この時期は、米国連邦準備制度の事実上の斡旋による、2008年3月のベアー・スターンズのJPモルガンによる救済合併をもって終了する。そして、全般的な信用市場の危機に拡大した時期が、第二ステージである。信用市場の危機はいまだ完全に収束してはいないけれども、この第二ステージは2008年9月のリーマン・ブラザーズの破綻までとする。それ以降は、金融資本市場の危機を超えて、実態経済の悪化を伴う経済危機の様相を呈するようになるからである。すなわち、第3ステージは、2008年9月から現在に至る世界同時不況と呼ばれるようになった時期である。」と分析していました。
さらに、「金融規制監督の面で、今回最も問題なのは、新たに出現していた重層的な市場型間接金融の連鎖がほとんど規制の範囲外に置かれたことである。何らかの規制をかける必要性は指摘されてきたにもかかわらず、規制強化の動きは阻止されてきたとともに、不適切な規制緩和がむしろ実施されてきた。」と論点を明確にしていました。つまり金融の暴走を止められなかったという事だと思います。
結びに「現状は危機の再来を防止するために、金融市場と規制枠組みを強化する改革」を検討するに先立って、「今ここにある危機をいかにして収束させるか」に注力せざるを得ないものでる。実質的に機能を停止している米国の信用市場を再起動するためには、どのような方策が有効であるか。要するに、金融機関(あるいは、投資家)が流動性を留保しようという行動を取っているのは、将来の不安に備えてであると同時に、将来の機械に備えてであると考えられる。と池尾先生は結んでいました。
私の表現で繰り返すと、暴落して価格が下がった時に買うための資金を留保し、利益を上げられるという機会を投資家・金融機関がうかがっている。利益が上げられる確立が上がってくると、物件を買出す。この行為が連続的におこってくれば資金が回りだしていく。実態経済が回復基調に入っていく。その時の為に、再発防止策として適切な規制を整備していくことであると思う。
東京財団が主催するこのセミナーは無料です。興味のある人はホームページで申し込むことが出来ます。
先週、9日に東京の虎ノ門にある東京財団ビルで開かれたセミナーに出席しました。講演は、「金融・経済危機と今後の規制監督体制」と題して、財務省国際局の中島武彦氏と慶應義塾大学経済学部の池尾和人氏からお話を聞きました。
中島氏から4月2日に開かれたロンドン・サミットでの会議内容を講演されました。前段の要約は、「世界的な危機には世界的な解決策が必要。市場原理、効果的な規制及び強力な世界的機関に基づく開放的な世界経済が重要である。サミットの合意により、IMFの資金を7500億ドルに3倍増、 2500億ドルの特別引出権新規配分を支持し、国際開発金融機関による1000億ドルの追加的貸付を支持し、2500億ドルの貿易金融支援を確保し、最貧国向け譲許的貸付のため、IMF保有金の売却益を活用する。全体として信用と成長及び雇用を回復させるための1.1兆ドルのプログラムを構成する。これは各国がとっている措置とあわせ、前例のない規模の回復のための世界プランとなる。」とお話されました。
さらに、六つの分類 ①成長と雇用の回復 ②金融監督及び規制の強化 ③世界的な金融機関の強化 ④保護主義への対抗と世界的な貿易・投資の促進 ⑤万人のための公平で持続可能な回復の確保 ⑥コミットメントの遂行 に順序良くお話いただきました。ただ世界の同時不況を解決するための金融全般を理解するのは、大変難しかった。というのは世界全体のマクロ経済の話が我々中小企業のミクロ経済の金融にどのように繋がっていくのか、時期はいつ頃か、融資は受けられるのかといったことが具体的な形でイメージできなかった。しかし私は難しい内容の話でも諦めずに、接しているとある時突然理解できるということを体験しているので勉強していきます。
20年前、私はシカゴ国際工作機械見本市に行き、友人の家に泊まったときのことです。友人の2人の子が、地元の中学校に入学した時、言葉か分からず、宿題を出されたことも分からない状態でした。しかし、3ヶ月が過ぎた頃英語が聞き取れるようになり、3~6ヶ月の間は言っていることは分かるのだが、話ことが出来ない、6ヶ月過ぎると突然話し出した。
難解な金融の話と英語が話せるようになることは、人間の脳の構造から同じではないかと思います。あきらめずに聞く、読む、話す、理解することの努力をしていると、ある日突然理解出来るものです。少しずつ理解するのではなくある日突然です。私にも同じ体験があります。あきらめずに継続する。継続は力なりです。
工作機械のメーカーのビックユーザーの会であるオークマ会に出席しました。名古屋駅で名鉄に乗り換え、犬山駅まで約20分、タクシーで約10分、愛知県犬山市のホテルに着きました。昨年は風が強く葉桜になってしまいましたが、ホテルの周りは桜が満開で大変綺麗でした。
オークマさんは創業111周年で日本の工作機械メーカーでも老舗で昭和40年代から普及が始まったNC(数値制御)工作機械を商品化したときに、機電一体で開発を進めた数少ないメーカーです。「お客様謝恩会」では社長の花木さんが「リーマンショック以来、突然受注が無くなり大変な状況にあるが、厳しい季節で寒さを乗り越えた桜はより綺麗になるがごとく、弊社も厳しさを糧にして次の飛躍のために頑張っています。また、今年開かれるプライベイトショーに10種類の新機種を発表しますので、是非お出で下さい。」と力強い挨拶をされました。そして自動車・機械・電気業界の方々と旧交を温め情報交換を行い有意義な一日を過ごしました。
私は昭和50年頃に工業新聞を見て、NC工作機械に興味を持ち調べていくうちに、オークマさんの8尺旋盤をベースに開発したNC旋盤LSNの展示会を見に行き、当時の社長(現会長)を説得して購入しました。自分でメーカーのスクールに行き、機械操作・プログラム作成の方法・保全を勉強しました。
私の大学での卒業論文は「直流モーターの位置制御」と云うテーマです。自分が勉強していた基礎研究が工作機械の位置制御に応用されているとは思いませんでした。NC旋盤の刃物台の位置を制御するのに電気で直流サーボモーターを回転させ、このモーターに直結されたボールベアリングを介して刃物台の位置制御するわけです。
NC(数値制御)は第二次世界大戦のさなかアメリカが艦船のスクリューの形状を測定するために開発されました。スクリューの形状は複雑な曲線をしていますので、最後の手仕上げの段階で曲線を測定する道具を使って完成させたそうです。この制御技術をさらに開発して工作機械に応用して数値制御の旋盤が完成されました。余談ですが、約25~26年位前に日本のT社が開発した5軸マシニングセンターをソビエト連邦に輸出し、この機械で加工したスクリューを潜水艦に装着したところ、アメリカ海軍のソナー(音波探知機)はソビエトの潜水艦のスクリュー音が捕えにくくなったそうです。その原因が日本のマシニングセンターで加工されたスクリューの精度向上であることが分かり、日本に対して激しい抗議がなされ、T社の親会社の社長までが辞職させられていました。
ブログを書いているといろいろ過去のことを思い出しますネ。
今朝の日本経済新聞「日銀マネー中小に届かず」という記事があった。日銀が供給したマネーが実態経済に浸透しにくくなっている。銀行の融資を通じてどれだけ経済に出回ったかを示す「信用乗数」は今年2月に2007年4月以来の低水準になったと伝えている。信用乗数とは金融機関が経済活動に必要なお金を貸し出す能力を示す指標で、金融機関の貸し出し能力が高まると信用乗数は上昇し、能力が落ちると乗数は低下するということだ。信用乗数は2007年6月から2009年1月までは7.1~7.3倍だったが、今年の2月は6.9倍に急低下し、約2年ぶりに7倍を割り込んだ。つまり金融機関の貸し出し能力は低下している。
そしてもう一つの記事は「メカバンク3行最終赤字」である。この記事の詳細は省くが、信用乗数が低下していることは金融期間の貸し出し能力が低下していることだ。メカバンク3行が最終赤字で有ることを考え合わせると、日銀は資金供給を急拡大させたといっているが、我々中小企業の資金繰りは改善していないし、今後の業績悪化を受けて貸し出しがさらに伸び悩み、貸し渋りが増加していく懸念があると思う。
一方、日本政策金融公庫は前年同期に比べて貸し出しが3割増えたと伝えている。業績が悪化している企業向けに審査基準を緩和した貸付が大きく伸びた為だと云う。民間銀行が融資を渋る一方で、政府系金融機関は経営環境の激変で対応出来る唯一の存在になるのではないか。私は民間で出来るものは民間に、官から民へは基本的な考え方であると思う。しかし、お金が国境を軽々と乗り越えて動いてしまうグローバル経済では、今回のアメリカ発の金融危機のようなケースでは民間金融機関では乗り越えられないと思う。危機対応の機能を持った政府系金融機関は必要不可欠であると思う。
我々中小企業の経営者は、常日頃から金融機関と密度の濃いコミュニケーションを図らなければならないと思う。100年に一度といわれる不況に対して支援を受けるためにも、その時になって頼み込むなど進められない。資金繰りは財務・経理部長に任せてチェックすればよく、社長は企業のビジョンを語れば良いという人もいますが、今回のような厳しい時には、他人任せにせず担当者と一緒になって行うことが肝要である。これが私の考えです。
今日は朝から東京にある銀行に訪問予定なので、日本対韓国の決勝をビデオに録画し、日本が優勝することを願いつつ家を出ました。
午前中は本社に行き、その後近くにあるメインバンクに行き、午後からは渋谷にある政府系金融機関を訪問しました。打合せ終了後、近くにある喫茶店に入り、同行した部長と打合せ内容を確認し、今後の方針を議論していました。注文をとりにきたウェイトレスにWBCの結果を聞いたところ、「残念ながら韓国が負けているのですよ」と言われ、何で日本人なのに韓国を応援するのかと、何気なく部長に聞いたら、「アクセントが少し違うから韓国の人ではないですか。」先入観とは怖いものです。この喫茶店には数年前からアポイントの時間調整の為、コーヒーを頼み一言二言は話していたのに、全然気がつきませんでした。胸に日本名の名札を付けていたので、すっかり日本人であると思い込んでいました。少しアクセントが違うから、どこの地方の出身者かなとしか思っていませんでした。そういう私も茨城県に住んで35年が過ぎ、同窓会に出席すると「高橋アクセントがおかしいぞ」と言われますので、アクセントで人のことは言えません。
夜は実家に宿泊し、WBC決勝のゲームをテレビで見ました。私が選んだMVPは岩隈、イチロー、内山、ダルビッシュの順です。岩隈は安定感のある投球で素晴らしい内容でした。イチローは最後に一番おいしいところをもっていきました。運を持っているのだと思います。かつての長島みたいに。 内山の逆シングルでのクラブさばきは見事の一語に尽きます。あの取りにくいハーフバウンドのボールを捕球し、その反動を利用して起き上がり、二塁に送球してアウトにしました。このプレーは相手の戦意を削ぐのに十分なものでした。ダルビッシュの投球は指先に全体重をのせてボールを投げる、小気味よい投球でした。プロ野球を見なくなって十数年過ぎ、新聞のニュース欄でしか見ませんでした。今回のWBCは久々に試合が待ち遠しく思えました。それは多分、昨年来の100年に1度といわれる不況に対して、出口が見えない焦燥感。政治の混迷による閉塞感。毎日暗いニュースや底の浅い取材しか報道しないマスコミへの苛立ち。核家族化が進行した日本社会では皆で楽しむ伝統的なお祭り騒ぎに対する渇望。日本人の平均年齢は50歳を超えたといわれています。やはり若い人が安心して結婚し、子供を作り、育てられる社会にしたいと思いました。WBCを見ながらこんな事を考えていました。
2008年9月15日、リーマンブラザーズが破綻して半年が過ぎました。世界中で金融機関の信用収縮が起こり、世界同時不況の様相を呈しています。
協立製作所のお客様は輸出の売上が80%を占める企業です。従って、協立製作所は間接的な輸出売上80%、国内売上20%の構造体質になっています。金融機関の信用収縮により、世界中でキャンセルが発生し、あっという間に受注が無くなり、在庫が積み上がり、生産調整に入った為、製造メーカーは操業短縮の苦境に入ってしまいました。地球は狭くなったといわれています。グローバル企業が世界中で活躍を可能にしている通信・物流・言語があります。特にインターネットの役割が大きく、情報が一瞬にして生産調整まで意思決定するまで1ヶ月もかからない状況になっています。
協立製作所にとっても、昨年10月から急速に受注が落ち込みました。10月にたてた対策は三班二直四勤二休体制から、一班一直体制への転換、残業規制、生産管理システムの改革による在庫圧縮、変動費の圧縮、役員給与のカット、徹底したムダの排除です。2009年の1月から毎週金曜日を一時帰休にし、2月からは月曜日と金曜日を一時帰休にしました。当初1月~3月で底を打つを思っていましたが、お客様の在庫調整が遅れている為、6月まで底を這っていくものと予想しています。その後、回復するものの2008年上期の60%位ではないかと思っています。予想していたこととはいえ、大変厳しい状況です。
世界同時不況の中、各国が金融安定化・景気対策を打ち出していますが、日本は政局の混乱からタイムリーに政策を打ち出せないでいます。我々、製造業は100年に1度の大不況で苦しんでいるというのに、義憤さえ覚えてきます。早く総選挙を行い、民意を問う政権で対策を立てなければ、この閉寒感を破ることが出来ないと思います。中小企業の社長の私には、この金融危機や世界同時不況の問題を解決する力はありませんが、この問題で起きている苦境を乗り越えることは出来ると思っています。自助努力は当然ながら、苦境を乗り切るには、長年取引をしている金融機関の支援です。金融庁が銀行に対する検査マニュアルを改訂し、中小企業の審査基準を緩和しています。私はさらに努力して景気回復のシナリオを銀行に提供し、密度の高い意見交換をしていきたいと思っています。
購買方針説明会の会場である熱田神宮は、その昔の戦国時代に織田信長が今川義元の本陣に奇襲攻撃を行う為、清州からわずかな供周りをつれ単騎で熱田神宮に向け馬を走らせ、家来たちが後から追いかけるように当地に参集したそうです。そして出陣前に戦勝祈願を行い、織田信長はいわゆる「桶狭間の戦い」で少数の軍勢で、圧倒的多数の今川勢を破った有名な戦いがありました。
信長の優れているところは、奇襲攻撃はこの戦いだけで、後の戦い方は外交と軍事力を増強し、大軍をもって敵を各個撃破していきます。その為、時には自分の方がまだ不利だと認識すると、相手方(武田・上杉)に対して恭順を示すがごとく、下手にでた行動をしていきます。奇襲攻撃は何度も成功しないことをよく知っていたのでしょう。しかし、自分の全人生をかけて戦う時は、過去の常識にとらわれることなく一世一代といわれる大博打を打ちました。しかもそれは一回だけです。(我々中小企業に通じる生き方ですネ。)そして、経済を発展させた楽市楽座は現代にも通じる政策だと思います。
私はいつも高速道路で料金を徴収される度に思い返すのは、450年も前に関所を廃止し、通行料を免除し、人の行き来を活発にして経済を拡大・発展させて、別な形で税を税収して国を富ませたことを思うと、高速道路の料金所が戦国時代の関所に見えて仕方がありません。ETCは非常に便利ですが、国土交通省が数百億円の予算を取り、民間に開発させ、一台数百万円のETCゲートを全国に設置して、どれだけの税金が使われるのかも公表されず、自分だけETCをつけ、人よりも早くゲードが通過出来たと喜んで、税金がどれだけ多く使われているかなど気にもしていない。経済をどのように発展させていくかを考えたときに、信長の楽市楽座の精神を学んではどうですか。つまり徹底したムダを排除し、必要な費用は別な形で税として徴収し、高速道路は無料にして関所をなくすことだと思います。
大分話がそれてしまったので、熱田神宮の紹介を頂いたパンフレットで概要を少し紹介します。
祭神の熱田大神とは、草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)を御霊代(みたましろ)として慿(よ)らせられる天照大神(あまてらすおおかみ)のことです。草薙神剣は、三種の神器の一つであり、スサノオノミコトが出雲国で、八岐大蛇(やまたのおろち)から獲られた天叢雲剣(アメノムラクモノツルギ)を天照大神に献じ、天孫降臨の際、大神が皇位継承の御璽(みしるし)としてヤタノ鏡・ヤサカニノ曲玉と共に親しく授けられた。
第12代景行天皇は、皇子日本武尊に東夷征討を命じられ、その途中、尊は伊勢の神宮において、御夷倭姫命から天叢雲剣を授かり、駿河国で草を薙ぎ払って難を逃れられ、荒ぶる豪族を平らげてから、草薙神剣といわれる。尊は、尾張国造止興命(おとよのみこと)の子建稲種命を一軍の将として従え、無事東夷平定の後、尾張国造の館にとどまり、その娘媛命を妃とした。
やがて、神剣を娘の媛命の手元に置かれ、近江国伊吹山の賊徒討伐にむかわれ、病を得て、景行天皇43年伊勢国能褒野(のぼの)で崩せられた。娘の媛命は、草薙神剣が天璽之神宝(あまみしるしのかんだから)で、尊が常に御身近に斎かれたことを畏まれ、ここ熱田の地に神剣を奉斎せられた。これが熱田神宮の創祀である。
お客様の2009年度の購買方針説明会が熱田神宮会館で行われるので、名古屋に行きました。名古屋駅の人の往来を見ていると不況の影響を受けているとは思えない程、人の行き来は多く活気があるように見えました。不思議ですネ!
名古屋駅桜通口から移した駅構内
昨年から起こっている不況で大きな影響を受けているのは、地方の工場地帯のエリアであることが、都市型の中心地に来ると良く分かります。桜通口を出るとトヨタ本社と毎日新聞社が入っているミッドランドスクウェアが他を圧するように立てられています。
私は名古屋から機械設備の立会いに、よく工作機械メーカーを訪問しました。JRから名鉄に乗り換え20分位すると江南駅に到着し、車に乗ると10分位の所です。20年程前から工作機械を購入する都度訪問しましたので、何度行ったか記憶にないくらい訪問しました。現在、機械設備の購入では、生産技術や製造の人達が、メーカーと打合せを行い、見積りをとり、起案書を提出して承認を受ける仕組みになりましたので、私が直接メーカーに行くことはなくなりました。若い人達が自分で計画し、議論し、起案書を提出する。承認するときに起案書の内容を確認し、様々な質問を行います。結果として担当者達が自然とPDCAのサイクルを回す思考方法が身につき、レベルアップに繋がると信じています。名古屋駅に着き、昔のことを思い出しました。