NC旋盤技能競技会表彰式

 ヨーロッパから帰国した翌13日、日立建機ときわ会機械技能競技会の表彰式に大会会長として出席した。競技会は9月12日(土)20名の選手により、全国各地の参加会社で行われた。

 

私はときわ会の機械技能競技委員会の委員長を務めている。委員会は競技会の課題・学科・ルールを議論し、決定していく。NC旋盤の大会のため、競技に使用する機械は選手の所属会社で行われるので、選手1名につき立会い者2名の手配も委員会の役割に入っている。

 

私は表彰式の冒頭に『今回の大会は百年に一度と云われる厳しい経済環境の中でしたが、皆様のご協力により実施することが出来ました。競技会の目的は会員各社の「ものつくり」の技術・技能のレベルの向上を図ると共に、「ものつくり」の伝承を継続的に行っていくことです。しかし競技会ですから入賞できた方とそうでないない方が出来ます。「うまくいかないことを楽しめた時、成果は最大となる」と言われますが、上位入賞者の方々は、うまくいかないことを明確にして、それを克服することを楽しめたからではないかと私は考えます。』と挨拶した。成績は総合1位が日立建機の大塚卓也選手、ときわ会の1位が大橋機産の佐々木一成選手でした。おめでとうございます。当社の選手は入賞できませんでした。残念。

 

50号ブログ写真③.jpg                       総合1位 大塚卓也選手

50号ブログ写真④.jpg                     日立建機選手と競技会役員

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            ときわ会1位 佐々木一成選手

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               入賞者と競技会役員

 

私は11月に技能者のレベル向上を目的に機械技能競技会に準じた教育プログラムを作り、勉強会を開始しました。6名の作業者を2班に分け、週一回2時間を学科・プログラム作成・NC旋盤作業に指導者を配置して、1年の計画で指導していくことにしました。1年後の成果を見て、評価し、改善を行い根付かせていきたいと思っている。

 

我々は過去に技術・技能の固有技術で発展してきた会社である。切削工具の刃付け研削から始まり、油圧機器精密部品の研削、前工程の機械加工、後工程の熱処理、そして組み立て、試験、塗装と長い年月をかけ、ようやくポンプとバルブのOEM商品を作れるようになって来た。しかし固有技術だけでは会社の運営がうまくいかず、数年前から組織的な管理技術に力を入れてきた。管理技術と固有技術は車の両輪と同じである。バランスが悪いとうまく会社の運営をコントロールすることが出来ない。固有技術の継続的な発展の一つとしてNC旋盤の技能者教育に力を入れて行きたい。

2009年11月度朝礼

おはようございます。9月の月次決算が黒字になりました。単月度としては12ヶ月ぶりになります。全員一丸となって、世界同時不況に立ち向かった結果だと思います。改めてお礼申し上げます。お客様の在庫調整が終わり、需要数と生産数がほぼ同じになってきた結果、受注高は最盛期の半分まで回復してきました。まだ収益力は弱く正確な管理を行わないと、赤字に陥る可能性があります。中国の需要がダントツに回復してきました。インドは最盛期まであと一歩まで、インドネシアに回復の傾向が見られるようになりました。しかしアメリカの回復が弱く半年ほどずれ込んで、来年半ばと予想されます。ヨーロッパは来年後半、国内の回復は先がまだ見えません。従って受注が不安定のため、収益力の回復は弱く、不安定な状態が続くと思われますので、精度の高い管理を行い、収益力を確実なものにしなければなりません。

 

先月3週続けてマイナス在庫がゼロになりました。生産管理のコンピュータシステムで確実に仕事を行い効率の良い経営体質に変えていくため、つまり中小企業から中堅企業に経営の体質を変えるため、昨年の10月に生産管理改革プロジェクトを立ち上げ、一年掛かってマイナス在庫をゼロにすることが出来たことは、全員で目標に向かって一歩一歩前に進んでいけば、「必ず目標を達成することが出来る」と云うことを証明したわけです。

 

先週、技術・技能の伝承と技能レベル向上を目的に技能競技会のキックオフを行いました。6名の選手が登録され、来年の7月に社内競技会を行い上位2名がときわ会のNC旋盤技能競技大会に選手として出場します。上位入賞するに越したことはありませんが、目的ではありません。計画的に学科と実技の訓練を行うことで選手の成長を促し、技能の向上を継続的に行うことが目的です。中小企業から中堅企業に脱皮するためには、管理技術と固有技術の両輪が同じように力を発揮しないと会社はまっすぐに進むことが出来ません。

 

日本VE協会のVEリーダーの資格を取るために2名がエントリーされ、既に勉強に入っています。資格を取る勉強の過程で、物事の考え方が変わり仕事に生かされると思います。

 

最後に、24日に5S・TPM改善活動の発表会が行われます。前回の問題点を明確にして、発表されることを望みます。

欧州工作機械国際見本市見学番外編(2)

 大きな駅前広場に着いた頃は、辺りは明るくなっていた。大勢の通勤客や大きなバックをもった旅行者が駅構内を足早に行き来していた。駅の中を見物しているとアラブ系の中年女性に道を聞かれ、私も分からないと返事を返した。地元の人間に間違えてくれたことは、私が地元に溶け込むことを工夫をしていたからだと思う。

 

このミラノ駅は映画「アンタチャブル」(主演;ケビン・コスナー、ショーン・コスナー)のクライマックスシーンであるシカゴ駅階段での銃撃戦の撮影をした場所。ずいぶん前にこの映画を観たあと、10年ほど前だと思うが、トリノにあるお客様を訪問後、トリノ駅からミラノ駅まで急行列車で移動した。その時雑誌で当時のシカゴ駅の風情を残しているのはミラノ駅であるとの記事を思い出し、駅に到着したあと撮影した階段を見にいき、映画のシーンと重ね合わせて思い出していた。なにしろ私はこの映画が好きで3回も観ていた。

 

結局ホテルに帰るのに2時間もかかってしまった。次の日は再度ドゥーモ行きのコースを設定しなおし、道に迷いながらも45分で到着。帰りは迷わず走ってきたので30分でホテルに着いた。朝もっと明るければ、これほど迷わないのだが、まだ陽が上らないうちに走っている人は皆無で、6時ごろになるとジョギングしている人に数人会うようになった。

 

49号ブログ写真.jpgのサムネール画像ミラノからの帰路。モナコに宿泊したとき、私はF1レース(モンテカルロ)のコースを走るため、ホテルでコースが載っている地図をもらい夜のうちに準備をした。朝5時日が昇っていない街は暗く、なかなか地図の通りに走ることが出来なかった。というのは私が想像していたより道路の幅があまりにも狭く、こんな道路でF1が走ることが出来ないと思った。そこで海岸沿いにスタート地点に行き、コースを確認しながら走っていた。だんだん明るくなって回りの景色が良く見えるようになると、間違いなくF1コースだった。

一周約2.3km。道幅は一般道路と同じ幅で、路面も同じ、モンテカルロホテル前のヘアピンカーブはすごかった。こんなカーブを100㎞超のスピードで突っ込んでくる。「すごい」の一言に尽きます。

 

10年の間にヨーロッパ出張の度に、宿泊先の街をジョギングしてきた。思い返すと最初に走ったウィーンでは迷子になって1時間の予定が2時間半。ドイツのハノーバーは空港脇のホテルで、何もない真っ暗な道を。プラハの街は街全体が世界遺産に登録されていてすばらしい景観。そのほかドュッセルドルフ・バース・バーミンガム・プリマス・アムステルダム・ストックホルムの街を走ってきた。街を車で行くより、その国の様子が分かる。私が走る5時頃清掃員が道の清掃やごみの収集をしている。ほとんどがその国の人ではない人達だ。国の経済格差が朝の清掃員の人達を見ると分かるような気がする。6時頃になると朝食の準備をするレストランの様子など、その国の食の情報を見ることが出来た。

 

欧州工作機械国際見本市見学番外編(1)

オークマ欧州工作機械国際見本市(通称EMO)のもう一つの楽しみは、朝早く起きて市街地をジョギングすることである。おおよそ10km1時間から1時間半かけて、初めての街を走ることは車やバスから見る風景とは、まるで違う街の生活を見ることが出来る。またヨーロッパの出張では時差ボケで午前4時頃眼が覚めてしまう。部屋で横になっているよりも、朝の散歩やジョギングで体を動かしたほうが、はるかに体調が良いものである。

 

ミラノ中央駅から徒歩15分に位置するウェスチンホテルに到着すると、すぐフロントで地図を貰い、翌朝のジョギングコースを調べる。朝4時に目を覚まし、事前に用意したウェアーを着込み、ジョギングシューズを履いた。準備運動はロビーで行ったが、ロビーには誰もいなく、フロントの人が物珍しそうに見ていた。ホテルを出ると暗く信号機の光やビルの広告ネオンで道路が判別出来るだけであった。ホテルの玄関前にはタクシーが56台待機していたが、運転手は客がいないのか車から出て数人がタバコをふかしながら、談笑していた。一瞬私のほうを見たが、客でないことがわかると無視するようにおしゃべりを始めた。

私は地図を見易いように、また必要な場所が表になるように、細かく折りたたみポケットに入れた。道に迷ったとき、長い時間もたもたして地図を見ていると、観光客とさとられ被害にあわないとも限らない。地元の人間になりきることがリスクを軽減するコツである。気温は1516度、半袖のTシャツにジョギングシューズ、ゴルフの帽子をかぶり、ホテルの名刺と地図、それに20ユーロをポケットに入れ走り始めた。20ユーロは最悪道に迷って帰れなくなったとき、タクシーを捕まえホテルまで帰るためである。

 

最初に計画したコースはホテルを中心に右回りで、観光名所のドゥーモと隣接する教会に行って帰る予定でした。最初は外国の見知らぬ街を走る昂揚感もあり、体は軽く感じられ、頭に入れたコースを快調にミラノの街を走り続けた。しかし広い通りは十字路だが、少し狭くなった通りはロータリーになっていて、ロータリーを中心に放射状に道が幾つもあり、非常に道が分かりにくい。一本道を間違え、次のロータリーで間違えると方向感覚が狂ってしまう。走り初めて40分様子がおかしいと思い、地図を見た。自分は地図のこの地点にいるだろうと思い、通りの名前や住所の番地を見たが、該当する地名がなかった。

 

そこでいくつかの番地と通りの名前を覚えて、走り回って10分。ようやく記憶した通り名が眼に入ってきた。自分のいる場所の位置が分かったので、目的地のドゥーモを諦め、道が分かりやすいミラノ中央駅に向かった。ヨーロッパの都市部でのジョギングは、道が間違いやすいことは何度も体験していた。迷子になったのも初めてではなく、何度か体験していたので慌てることはなかった。

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                 『ドォーモ

 

欧州工作機械国際見本市見学記

オークマ欧州工作機械国際見本市(通称EMOショー)を10月5日(月)から10月12日の日程で、オークマ㈱の森専務を団長に17名の視察団に参加した。我々製造業は製品を作り出す道具である工作機械の動向を注視し、常に先端の機械・システムを追及することは大事なことと考えている。EMOショーは日本国際工作機械見本市(通称JIMTF)と米国シカゴショーの三大工作機械見本市の一つで、2年に 1回開かれている。ドイツのハノーバー市の開催が中心で2回続けた後にパリ市で開催、またハノーバー市に戻り2回開催した後、ミラノ市で開催される。つまり12年間のサイクルでハノーバー⇒ハノーバー⇒パリ⇒ハノーバー⇒ハノーバー⇒ミラノの順で行われる。近年このサイクルを見直ししてハノーバー市に固定化されるようだ。

    47号ブログ写真②.jpgミラノ市郊外の会場はハノーバーよりも一回り小さい感じであるが、建物はシャレた作りと色彩が眼を引いた。入り口には各国の言葉で、日本は「ものつくり魂」、アメリカは「THE KNOW HOW」、中国は「制作能力」等、製造業の理念が書かれたポスターが眼に入った。最初にオークマさんのブースを訪問し、花木社長・オークマヨーロッパの青山副社長の歓迎を受けた。展示機械の説明を聞いた後、私は主に共和工機の増田副社長と一緒に順路を決めて、会場の展示機械の傾向を話し合いながら、丹念に見て回った。

 

展示されている機械は原子力発電設備のタービンのハウジングやシャフトを加工する大型の複合NC旋盤・五面加工機・M/Cが多く展示されていた。新興国向けのインフラ整備関連をターゲットに売り込みを図る意図が十分に読み取れる。我々の仕事の建設機械向け油圧機器は中国を初めとする新興国のインフラ整備に直結するので、中期的な展望は期待出来そうだ。来年に向けての予測が確信に変わるひそかな期待感が生まれた。オークマの方に質問すると、私の感想と同じ世界各国の工作機械メーカは、日米欧よりもBRICsを初めとする新興国のインフラ整備関連の分野の回復が期待されるとのことでした。

 

年前のEMOは中国メーカの多さとインドメーカのマシニングセンター、ブラジルメーカのマザーマシンと云われる門形マシニングセンター、ロシアメーカが眼を引いた。私はその時不覚にもインドやブラジルでNC工作機械が生産できるのか想像もしていなかったので、大変驚いた。今回も中国は数多くのメーカが出展し、韓国・台湾も頑張っていた。確実に新興国BRICsが工作機械の市場で存在感を増してきたように思う。一方日本は5大工作機械メーカのうち2社が出展を取りやめ、出展会社数が20年前に較べると激減しているのが印象的でした。日本の存在が、失われた15年の停滞で確実に薄くなっていくのを複雑な思いで今回の視察会で感じていました。

 

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5S・TPM改善発表会

 9月30日(水)朝8時40分から午後3時15分まで、22チームによって5S・TPM改善発表会が行われた。発表は現場の活動板の前で1チーム10分 ①分科会名・チーム名②チームメンバーの構成とチームリーダ・発表者名③活動エリア④改善の目的・目標⑤活動の実施状況⑥活動の成果⑦個別改善事例の紹介⑧反省と次回に向けての抱負の順に報告が行われ、審査員は私を含め4名でその場で採点を付けていき、その合計点の平均値で優劣を競うようにした。

 

46号ブログ写真①.jpg私は30年程前にお客様のQCサークル発表会に出席し、サークルメンバーが皆で改善活動をする様子を聞き衝撃を受けたのを、今でも鮮明に覚えています。当時は従業員が少ないこともあって、改善は私と顧問の二人で行っていたので、従業員が皆で改善をするということが奇跡に思え、協立でも取り入れようと試みました。しかし様々な試みをしたが、定着は難しかった。挫折しては再度始めるということを繰り返していました。失敗した原因は推進体制にありました。当時従業員は20名位ですから事務局は私が務めました。しかし私は工場の営業・製造・生産技術・生産管理・品質管理・総務・経理を一人で務めていましたので、どこかの部門が忙しくなるとフォローが出来なくなり、改善の時期が過ぎてから報告をさせようとすると「やっていません。連絡がないからやめたと思った。忙しい。」等々やらなかった理由を並べ立てていました。再度仕切りなおしをすると品質問題でお客様に報告、新規の仕事の打合せ、新規の仕事の設備投資・レイアウト・見積などが続くと又もとに戻ってしまうという連続でした。

 

46号ブログ写真②.jpgあれから30年、2007年9月14日に5S・TPM改善活動のキックオフを宣言し、5Sを中心に改善活動を始めました。推進体制は本部長が私、副本部長が広瀬工場長、事務局が佐々木工場長付で6ブロック24チームの組織体を作りました。3ヶ月に1回、成果の発表会を行い、優秀チームには報奨金を授与しました。

 

46号ブログ写真③.jpg5Sが一定のレベルに達したので、2009年6月にTPM活動に移行することを決め、9月30日が最初の発表会になりました。22チームの報告は未熟なところが多くあったが、私が30年前に奇跡に思えた、皆で改善活動を進めていることに胸が熱くなりました。30年掛かってようやく始まることが出来た。さーこれからだ。

 

改善発表の優秀チームと優秀分科会長の写真を掲載して、労に報いたい。

最優秀賞  品質保全分科会 特攻隊Aチーム     桝井リーダー

準優秀賞  品質保全分科会 エキス・マキナチーム  大木リーダー

準優秀賞  5S分科会   出荷係チーム      篠崎リーダー

努力賞   品質保全分科会 TEAM-Uチーム   窪田リーダー

努力賞   品質保全分科会 増渕チーム       増渕リーダー

努力賞   計画保全分科会 ブラックムラーノチーム 藤田リーダー

 

最優秀分科会長賞 品質保全分科会 高橋課長代理

準優秀分科会長賞 計画保全分科会 清水課長代理

 

おめでとう。

 

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経営者協会県西地区支部役員会

 9月25日(金)茨城県筑西市のホテル新東において、県西地区支部役員会が開かれました。

役員会は支部長、副支部長3名、幹事長、副幹事長、幹事9名の計15名で構成され、支部長は㈱スミハツの若山さん(常務取締役管理本部長)、副支部長が私と樋口さん(NC東日本コンクリート工業㈱社長)・中川さん(日立化成工業㈱下館事業部長)が、幹事長は杉山さん(関彰商事㈱人事部長)が務めています。事務局は社団法人茨城県経営者協会の清水専務理事、加藤部長、生井課長、後藤主事の4人です。

 

支部活動報告では、立山所長(ココロジー経営研究所)による「環境で強い会社をつくる」の講演会の評価・反省が行われ、続いて下期事業の検討が行われた。下期事業の講演会は「新型インフルエンザ対策」、企業見学会ではエコドライブの体験学習を行うことにした。エコトレーニングを受けたドライバー(事務局)の年間データを年間走行距離・CO2排出量・CO2吸収に必要な木の本数そして燃料費の4項目について、通常運転とエコドライブの比較をマトリクスにして見やすくし、燃料費では  約30%近くの改善が見られた。非常に興味深い提案だった。

 

支部総会・行政懇談会についての検討の後、役員・幹事の交代について、長い間、幹事長の職で活躍されていた杉山さんが、関彰商事殿の人事異動に伴って、後任の方と交代するとの報告が有りました。その後懇親会が行われました。異業種の方たちとの交流会は大変興味深く、楽しく、勉強になることが多かった。

 

杉山さんご苦労様でした。

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業務連絡会

 我々の会社は毎月協力会社に対して業務連絡会を開いて、社長挨拶・受注情報・品質情報・納期遵守率の報告会を行っている。出席会社はきょうわ会(17社)と主要お取引様3社を加えた20社である。きょうわ会は二十数年前に結成し、現三代目会長は㈱木城製作所社長の木城弘明氏が就任している。

 9月23日木曜日15時10分から連絡会を始め、私が挨拶でリーマンショックから1年お互いに大変苦労してきたが、ようやく仕事が戻ってきた。しかし、最盛期の50%であることを考えると、慎重に事業の再構築を進めて行きたいと報告した。続いて工場長が受注状況を、購買部長が品質・コスト・納期全般の改善状況を、品質保証部長が品質状況の報告を行い、質疑応答に移った。フクミツプレシジョン㈱福田社長から年初に頂いた表彰式の写真を頂きたい旨の発言があり、購買部長が写真を送ることを約束した。忘れていたとはいえ大変失礼なことしました。他に谷津製作所殿・筑波野口殿・早川機工殿が表彰を受けましたので、同時に贈ることにした。ブログに写真を載せ、お詫びに代えさせていただきたい。

 

 フクミツプレシジョン殿

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谷津製作所殿

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筑波野口殿

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早川機工殿

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業務連絡会

44号ブログ写真④.jpgのサムネール画像 

宇宙エレベーター③

0.000004%の挑戦

 千葉県船橋市にある日本大学二和校地の2009年8月8日は晴天だった。

宇宙ステーションの代わりに、バルーンが上空150mの高さまで上げられ、車のシートベルトがテザーとしてぶら下げられた。 グラウンドの端では、参加8チームが簡易テントの下で着々と準備を進めていた。参戦したのは、日本大学理工学部から2チーム、神奈川大学工学部から2チーム、名古屋大学工学部、静岡大学工学部、ミュンヘン工科大学(ドイツ)、個人参加の「チーム奥澤」の8チームだ。

 いずれも手弁当で、自ら旋盤を削りつくり出したクライマーたちは、スーパーマーケットの買い物かごに入りそうな大きさである。競技のルールは、制限時間内での、上昇速度とほかの評価項目で競う。が、単なる記録競争ではない。各テントでは、自チームのクライマーの特徴をパネルで展示していた。このアイデアは、青木教授の提案による。互いのアイデアで、刺激し合い、さらなる技術開発を進めるという、この競技会の大きな目的はここにある。

 風にテザーがなびく。ねじれるテザーにはばまれて、クライマーが止まる。初日の午後は、強風で、テスト昇降に切り替えざるを得なかった。各チーム寝ずの最終調整でのぞんだ2日目も晴天。

 青木は、ストップウォッチを片手に、記念すべき第一回の競技を見守った。 机上の理論や、コンピュータ内の計算では起こらない、現実が次々と起こる。北米以外で初めての大会とはいえ、賑やかな観客席などない。自分たちが製作したクライマーを、真剣に見上げ、歓声を上げる研究者たちは、何も知らない通行人から見れば、新種のラジコンで遊んでいるように見えたかもしれない。

 優勝は、2005年から開発を進め、150メートルまで上げられる実験をできると滞日4日間という強行スケジュールで来日したドイツ、ミュンヘン工科大学チームだった。このチームは、2007年米国で記録された秒速2メートルの速度を打ち破り、150メートルを52秒で上った。

 3万6000キロからすれば、150メートルはわずか0.000004%に過ぎない。「初日にあんなに高く見えた150メートルが、もうわけなく見えてくる。来年300メートルにしても、難なくクリアできるかもしれない。いつの日か、何だ3万6000キロなんて大したことないじゃないかと」

 

「アホなこと」がやがて天空に届く

 

 機械系エンジニアの使命は、どんなに小さく粗末なものでも、理論を形にして作り上げ、見せることだと青木は言う。 「アホなこと」と自嘲気味に微笑みつつも、小さくとも一歩ずつ進む。ゼロからは何も生まれないが、150メートルの実績の種は、やがて芽を出し、天空に届く大樹となるだろう。

「もし明日、世界がなくなるとしても、何か作り続けているって素晴らしいじゃないですか。それが世界の崩壊を防ぐかもしれない」

 これまでも、これからも、未来はこうして作られる。

(文中敬称略)


画像をクリックすると動画をご覧いただけます。(WMV形式)

クエスト~探求者たち~
WOWOW 毎週日曜 午前10:00~
宇宙エレベーターで宇宙へ! 青木義男教授の挑戦
9月6日(日)午前10:00
再放送 9月19日(土)午前9:00

この記事を読んで私は出身校ということもあって、大変誇らしく嬉しくなりました。私が学生の時、精密機械工学科の航空研究室で人力飛行機の開発を行っていて、8の字飛行の世界記録を目標に頑張っていたのが思い返されます。私は青木教授の 「この卒業研究には、正しい答えはない。答のない問題の答を探そう」の言葉が大好きです。私達の仕事もこれで良いと云う答えはありません。ある時期うまくいったとしても環境が変わったりすると、ダメになる。過去に成功したから未来も成功体験のままで良い等と言うことはありません。これで良いなどと云う答えはないのです。人生もこれで良いなどという答えはありません。答えのない人生の答えを探して進んで生きましょう。

宇宙エレベーター②

「蜘蛛の糸」のイメージで宇宙へ

エレベーターといっても、我々が一般的に考える建物の中に設置されたものとは違う。イメージとしては、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」のように、天空から垂らされた糸を伝って昇る姿を想像した方が近い。では、どうやって糸を垂らすか。                                         大ざっぱに言えば、人工衛星から垂らすのである。

 地球を回る人工衛星は、地球の重力で内側に引っ張られる。が、遠心力で外側に飛び出す力と釣り合うことで、高度を維持して地球の周りを回転し続けている。これまで世界で打ち上げられた人工衛星は6000個以上、現在も3000個が旋回中だ(JAXAホームページより)。

これらの人工衛星のうち、赤道上の高度約3万6000キロを回る人工衛星は、周期が地球の自転と同じで、地上から見れば相対的に静止して見えるので「静止衛星」と呼ばれる。ここから地上に向け、頑丈なテザー(ワイヤーやリボン状の紐)を垂らす。

 テザーの重さで衛星が落ちてしまわないように、地球と反対側にも同じだけテザーを伸ばすと、衛星はバランスを維持し続けながら地球を回る。これをモノレールの線路のようにして昇降機(クライマー)を宇宙に向かって走らせるというのが、宇宙エレベーターのおおよその原理だ。

 この構想は、約50年前に既に発表されている。しかし、技術上、実現は困難とされてきた。特に、地上に垂らすテザーの強度は、計算上鋼鉄の180倍が必要だ。

 ところが、1991年日本のNEC筑波研究所(当時)の飯島澄男が発見したカーボンナノチューブという新素材が、その条件に見合い一気に宇宙エレベーターの実現への難路に光が見えてきた。

 米国の航空宇宙局(NASA)は、2000年、宇宙エレベーターの実現可能性を探り始め、「十分な軽さと強さを持つ材料が開発されれば、建設可能」という結果を得た。2005年から、その技術を探るため、宇宙エレベーター競技会も開催されている。

 そして北米以外で初めて、第一回宇宙エレベーター技術競技会(主催・社団法人宇宙エレベーター協会)が、2009年8月、千葉県で開催された。その審判席に青木教授の熱い視線があった。

守りから攻めへの転換点

 青木教授が「宇宙」に取り組んで、まだ1年数カ月しかたっていない。 学者としての業績の第一歩は、強化プラスティックに関する研究だった。1981年、25歳の青木は、強化プラスティック協会論文賞を受賞する。マンションなどの共同住宅の屋上に設置された、円筒形のFRP(繊維強化プラスティック)水槽に関する論文だった。

 順風満帆に学者への道を目指してきたわけではなかった。
「オフレコにしたいけれど、高校時代は、2度も停学処分を受けたような生徒だった。修学旅行にも参加できず、自宅で反省文を書かされて
(苦笑)」 「失った信頼を取り戻すのには、その何倍もの努力が必要になる」。その言葉通り、青木は、人の3倍努力することを心がけてきた。そのためには、無駄なことはさけ、馬鹿なことをいう暇も惜しんできた。

 「けれど、そろそろアホなこともやっていいかな」第一の理由は、大学の人間として、つまり後進の研究者を育てるという視点に立てば、一心不乱に研究データを積み重ねるだけでは、いけないのではないかという思いだった。

宇宙へ行く? そんなのできっこない

 ここ数年、青木にとってつらい事故が立て続けに起こった。エレベーターの事故や、ジェットコースターの事故だ。直接かかわっているわけではないが、構造力学や複合材料力学、最適構造設計などをフィールドにし、10年以上エレベーターも研究する学者として、新聞社などからコメントを求められた。そんな日々を経て、偶然、宇宙エレベーター協会の講演会に足を運んだのが、2008年4月のことだった。「地上のエレベーターの研究だって大変なのに、宇宙へ行く? そんなのできっこない」

 それが、最初の実感だ。
 しかし、できないことをそれで片付けてよいのか。自分の目が黒いうちに実現する可能性は限りなく低い。だから放棄するのか...。 たとえ世界が明日終わるとしても、未来を見ている。それが、自分にとっても学生にとっても必要な姿である。青木研究室に、宇宙エレベーターのクライマー開発というテーマが加わった。実験機の製作は大学院生が担当する。卒業研究テーマでも「宇宙エレベーター」が選ばれた。

 「この卒業研究には、正しい答えはない。答のない問題の答を探そう」

ちなみに、社団法人宇宙エレベーター協会に参加した学者は、青木が最初だった。

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